妻がこの世にいた証し

 

あまりに唐突な問いだった。どう答えればいいのか。僕は一瞬、戸惑った。

娘が12歳の夏、妻の遺影を見ながら、こうつぶやいたのだ。

 

「ママはどうして、私を産んだのかなあ。もし、私を産まなかったら、今も生きていたかもしれないよね」

 

妻が娘をどれだけ愛し、生まれて来てくれたことに感謝していたか。父親として、そのことを娘に伝えなければならなかった。とうとう、その時がきた。僕は、妻が亡くなる2カ月前に自身のブログにつづった一節を思い出し、娘にそれを読ませた。

 

 

母のナミダ(2008年5月13日)※一部抜粋

 

産後から1年半。私のがんは結局再発したけれど。そのときは、つらかったけれど、今は本当に、あのとき支えてくれた人に感謝している。

 

後悔はまったくしていません。

 

ムスメは、今や、最大で最強の私のサポーター。あそこで諦めていたら、ムスメには出会えなかったのだ。ムスメがいなかったら、正直、ここまでも、これからも、頑張って行けたかどうか、わからない。

 

ムスメに出会えたことは、私がこの世にいたという証しだ。自分より大事な存在に出会えたことは、私の人生の宝。サポーターの力は最強。私の人生の目的は、これだったのかな。

 

(中略)

 

ムスメと出会えたことに、あらためて感謝しつつ。最大で最強のサポーターちゃん、ありがとう。この世でしっかり、あなたの幸せを見せてもらうからね。

 

 

今年2月20日、娘は21歳になった。誕生日の翌朝、娘が前日書いた日記を僕に読ませてくれた。日記を見せてくれるなんて初めてのことだった。

 

わずか一行。

ママへのメッセージが短くつづられていた。

「この言葉しか出てこなかった」と娘。

 

その一行に、産んでくれた母への感謝の思いが、すべて凝縮されているように感じた。