悲嘆に暮れた16年前を回顧

 

妻が他界した2008年夏、弟家族がわが家を訪れた。

僕の落ち込みようが、あまりにもひどかったので、弟が気遣ってくれたのだろう。

当時小学3年生だった長女をわが家に残して帰ったのだ。

それから約1カ月、僕たち親子と姪の3人は寝食を共にした。

 

姪の名前は、ふうか。

今は23歳の保育士で、社会人1年生。

弟に似て、やさしく、陽気な性格。

よくしゃべり、よく食べる。

 

昨夜、ふうかが久しぶりに会いに来てくれたので、娘と3人で食事に出かけた。

彼女は、ビールを飲みながら、16年前のことを語り始めた。

 

「はなちゃんを保育園に迎えに行った帰りだった。信吾さんが車を運転しながら泣いていた。後部座席にいた私たちはミラー越しに気づいた。そうしたら、はなちゃんが『泣かんでパパ。はながおるやろ』って励ましていたよね」

 

夏休みの間、幼いふうかは親元を離れ、ずっと僕たち親子に寄り添ってくれていたのだ。

しっかり、心に刻んでおかなければ。今、こうして元気でいられるのは、ふうかのサポートがあったからなんだ、と。

 

 

16年前のエピソードを娘に伝えるふうか(左)。「全然覚えてない」と答える娘。

 

 

飲みっぷりがいい保育士さん。

 

 

生ビール1杯と中瓶2本を空けた。

 

 

ふうかと娘に食べさせたかった「牛タンしゃぶしゃぶ」と「鶏もも肉のから揚げ」。

 


肉食系女子。

 

ふうかとはな。妻が亡くなった2週間後、佐賀県の古場で。軽トラックの助手席から撮影(2008年7月26日)