喪失からの再生

 

大切な人を失った。その事実を文章に書き起こす作業はつらい。

それでも、なぜ、書くのか。

安武千恵という1人の女性が、この世に生きた証を残したかったからだ。

娘に活字を残したかったからだ。

 

2012年に出版した拙著「はなちゃんのみそ汁」(文藝春秋)は、千恵が何を考え、生きてきたかを娘のために記録したノンフィクション。悲しいだけの闘病記にはしたくなかった。読者が僕たち家族の物語をそれぞれの人生と重ね合わせてくれたら、との思いもあった。

 

あれから11年がたち、気づいたことがある。

僕は「喪失からの再生」を手に入れることができた。

まったく想定してなかった。

それは、読者の皆さん、周囲の仲間たちからの贈り物だった。

 

福岡市内の書店で大型モニターを使った本のプロモーション(2012年4月12日)

仕事を抜け出し、書店をのぞきに行くこともあった。客が本を手にしてくれると、うれしかった(2012年4月12日)

 

以下、妻のブログを再掲。「苦しいのに、なぜ書くのか」。その理由について触れている。大切な誰かを失ったことを文章に起こす作業、という記述には胸が締め付けられる。彼女には未来が見えていたのだろうか。

 

閑話休題(2007年5月20日)

 

「母親に恨みはない。誰でもいいから、殺そうと思った」

「殺すのは、弟でもいいと思っていた」 

出頭する前に、切り取った母親の頭部が入ったバッグを持ち、インターネットカフェに2時間もいたらしい。

 

身内をバラバラに切断する事件が増加した。

本当に、不気味だ。

彼らが何を食べていたのか、知りたい。

 

少なくとも、一日のうちに一度でもいいから、母親と、家族と、顔を合わせて、手を合わせて、「いただきます」と感謝して食べ物を食べている家族には、こういうことはおきないような気がするのだ。

 

さて、今日は「おっぱいの話」は休憩。

 

正直なところ、おっぱい話を書くのは、けっこうきつかったりする。

私の気持ちを代弁するかのごとく、つい最近、こういう言葉に出合いました。

 

全然苦しいし、書いてて楽しくないし、こういう、ほんとに自分の個の精神的なものを、この文章に投影して、書きながら泣いたりとかは、もう、単純に、つらいと思いました。

 

<リリー・フランキーさんが「東京タワー」対談の中で>

~ほぼ日手帳2007 spring  6月16日土曜日欄より~

 

リリーさんは、数年間かけて「東京タワー」を書き上げたといいます。

書いている間中、つらかったことでしょう。

 

私は、自分のことでもあるからか、さすがにもう涙は出ない。

でも、大切な誰かを失ったことを文章に起こす作業は、更につらさを増すのだろう、ということくらいは想像できる。

リリーさんと比較するなんて、ずうずうしいにもほどがありますが。

 

きっと、リリーさんの作品の中で「東京タワー」を最初に読んだ人が、リリーさんの他の作品を読んだら、その落差にきっと驚くと思う。

 

常に前を向いて歩んでいる私にとって(というよりも、忘れっぽいと言った方が正しいかな?^^;)、あんまり思い出したくない記憶をたどりながら言葉にしていくという作業は、思った以上にきついものだった。

 

今現在も治療中の身ではあるけれども、最初からブログを闘病記にしたくなかったのは、こういう理由があったから。がんの患者さんはもちろんだが、がんの患者さん以外の方にも気軽に読んでいただけたらと思っている。

 

そうして読んだ人たちが、自分や家族の健康に目を向け、家族から社会に目を向け、日本のことに目を向け、世界に目を向け、行動に移していることを知り、私もさらに励まされているのだ。料理のこと、音楽のこと、代替医療のこと、子どものこと、わんこのこと、マクロビオティックのこと、時々、旦那のこと。話題は日常の中に、コロコロと転がっている。 

 

私は、すべてに関して、人の倍以上に忘れっぽい生き物。 

 

分析するに、多分、性格がお笑い系なのかな。

思い出す作業は、ぼちぼち合間にやっていきます。