大切な人のために「生きる」

 

ダイニングテーブルの上にタバコが置かれてあった。

前日、わが家を訪れた友人のものだった。

タバコが置かれたテーブルで、娘が朝ごはんを食べ始めた。

その光景を見つめながら、僕は、15年前のある朝の食卓を思い出した。

 

わが家のテーブルに友人が置き忘れたタバコ

 

千恵が乳がんになった23年前、僕は一度、タバコをやめた。彼女の通夜があった日から再び吸い始めたが、「15年前のある朝の食卓」で娘と禁煙を約束。それ以来、タバコは吸ってない。

 

2008年、千恵の四十九日の法要を終えたころだった。

いつものように、朝食の支度をしていると、ゴミ箱の中に開けたばかりのタバコが捨ててあることに気づいた。朝ごはんを食べながら、はなに尋ねた。

 

「パパのタバコが台所のゴミ箱に落ちてたんやけど」

「ああ、あれ。はなが捨てたよ」

「どうして捨てたの?」

「だって、タバコを吸ったら、がんになるって、ママが言ってたじゃん。吸わないって約束してたんじゃないの。パパががんになって死んじゃったら、はなは一人ぼっちになるんよ。パパは、はなが一人ぼっちになってもいいの」

 

はなは涙声になっていた。

 

母親を亡くしたばかりの幼い娘を悲しませるなんて、最低の父親だと思った。

そのとき、はなと交わした約束は「パパは、もう二度と吸わない」。

 

その後、僕は精神安定剤を手放した。

浴びるほど飲んでいた酒量も減った。

 

ビール禁止令(2012年5月12日)

 

妻のためならやめられた。

娘のためなら何でもできる。

それは、大切な人のために「生きる」ということだった。

 

娘の行動は、千恵の思い。

はなは千恵。千恵ははな。

 

あの日、娘がとった行動のおかげで、今の自分があるのかもしれない。

 

娘と禁煙の約束を交わした食卓(2011年10月8日)