“ブラックジャック”との出会い
2003年12月、職場にいた僕の携帯電話に千恵からメールが届いた。
「肺に転移しました。ごめんなさい」と書かれてあった。
出産前に恐れていたことが現実となってしまった。
正直、がんの完全治癒が遠のいたと感じた。
僕たちは九州がんセンターの主治医と話し合って、転移がんの治療はホルモン療法を選択。
それを補完するための代替療法も始めることにした。
セカンドオピニオンは、山奥に住む“ブラックジャック”のような医師だった。
彼は、まず生活習慣の改善を勧めた。
そのひとつが、早寝早起きと食事療法だった。
“ブラックジャック”はこう言った。
「千恵さんは、睡眠時間をしっかり確保し、良質のタンパク質をとった方がいい。今後、料理は信吾さんが作ってください」
黒い液体の点滴も打ってもらった。(文春文庫「はなちゃんのみそ汁」参照)
千恵の体温は上がり、血圧が安定。肩こりや腰の痛みも消えていった。
「私は大切なことをおろそかにしていた。食べることと寝ることは治療の土台なんだね」
生活習慣の改善がいかに大切か。
千恵はそのことを身をもって知った。
話は変わるが、千恵の寝室には、古いアナログテレビがある。
地上デジタルテレビ放送に完全移行したため、現在は映らない。
彼女は学生時代、テレビを持ってなかった。
社会人1年生になったお祝いに、僕が買ってあげたビデオ内蔵型の小さなテレビだ。
治療の効果が見えてきたころだった。
2003年12月31日、千恵は寝室で横になり、そのテレビで紅白歌合戦を見ていた。
「早く寝たほうがいいよ」
僕はそう言って、テレビを消した。
千恵が残念そうな表情で「今年は白組が勝つかもね」とつぶやいた。
そのときの光景が、目に焼き付いて離れない。
僕は千恵に我慢ばかりさせてしまった。
映らないテレビは、今も捨てることができない。
はな生後9カ月、千恵28歳。肺へのがん転移が発覚する約1カ月に自宅玄関前で撮影した。
以下、千恵のブログ。
僕たち家族にとって、忘れてはいけないこと。
我慢すること(2006年12月20日)
タイトルの通り、私は早く寝て、早く起きる生活をしています。
目標(あくまで目標)22時就寝の6時起床。
人によっては寝すぎとも言われそうですが。私には、8時間必要なのです。
でも実際は、家のことや、片付けや、細々したことをやっているうちに、あっという間に時間は過ぎ、ついついベッドに入る目標時間を過ぎてしまうことも、しばしば。
そうすると、朝が遅くなり・・・と悪循環。
人間のすべきことに、限りはありません。
次から次に、押し寄せてきます。
まだ年賀状だって書いてないし、掃除したい場所もいくつもあるし、買わないといけない物も、読みたい本もたくさん。 私は半分主婦だからいいけれど、これにフルタイムで仕事・・・となると、本当に時間はいくらあっても足りない。
だから、優先順位をつけて、 ある程度、我慢することが大切だと思っています。
私に今必要なことは、本を読むことでもなく、夜中にパソコンすることでもなく。
きっちりと睡眠を取ること。
体が元気であればあるほど、油断してしまうのだけれど。
がん患者であるという自覚を持って、最大限のことをする。
中でも、食事と睡眠は治療の一環でもある。
22時から2時までの間に、新しい細胞は作られるという。
その間、しっかりと深い眠りを確保し、免疫力を上げる。
じゃあ、「22時から2時まで寝て、それ以降はDVD見たり、遊んだりしていいの?」なんていうあまのじゃくさんも出てくる。実際に、そんなことを言っていたグラビアアイドルさん。つい最近まで体調を壊して入院していました。
夜は大人も子どもも、とにかく寝る時間。
そうすると、夜中におきる凶悪事件も減るし、切れる子どもも減るのでは?
と思ったりしています。
寝る子は育つのだ。
私はもう、育たなくてもいいけど・・・。