一度は手術を拒否

 

「ミレニアム」と称された20世紀最後の年の夏だった。

乳がんを発症した千恵は、勤務先に近い北九州市立医療センターに入院した。

手術前日、千恵の姉が泣きながら僕に電話をかけてきた。

千恵が手術を拒否し、退院するというのだ。

 

頑固な一面があった千恵。

両親やきょうだいは、言い出したら聞かない彼女を説得できず、

あきらめて、長崎県大村市に帰った。

僕は、福岡市で開催されていた全国高校柔道大会「金鷲旗」の取材中だったが、

デスクに事情を話して病院に駆けつけた。

 

最終的には、千恵は手術をした。

僕は手術をしてほしい、とは言わなかった(言えなかった)。

「退院したら一緒にバンクーバーに行こう。雄大なロッキー山脈を車で走ろうな」

この言葉が決め手になったのかもしれない。

つまり、結婚を意識させたのだ。

 

手術は成功したが、千恵のがんは悪性度が高く、しぶとかった。

千恵25歳。

抗がん剤との長い付き合いが始まった。

 

保育園からの帰宅途中。千恵は抗がん剤に副作用で寝込むことが多かった。

 

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以下、千恵のブログ。苦しくても、希望は捨てなかった。

彼女の前向きさに、僕は何度も救われた。

 

ピンチはチャンス(2006年12月26日)

 

昨日、今回の予定の最後の抗がん剤(4クール目)を投与してきた。

少なくとも、この治療を始める際に、主治医は確かに「4クール頑張りましょう」と言った。馬鹿正直にその言葉を受け止め、今回は4クールできっちり終わるものと思いこんでいた。

昨日の主治医はこう言った。

 

「私の言い方が悪かったですね・・・。4クールというのは、あくまでも一つの目安だったんです。今、腫瘍マーカーが下がっているから、この薬が効いていると判断します。今後も続けていった方がいいと思います」と。

 

治療を受けると決めたときに、きちんと確認しなかった私が悪いのだが、予想の範囲内とはいえ、やはりショックだった。旦那から耳にタコができるくらい言われているが、私には、慎重さが足りない。

 

この日本のどこかに、再発がん患者にも、年に2回だけ検査だけしてくれて、無理な治療を勧めない病院がないだろうか。ないだろうな。病院のルートに乗った以上は、それを理解し、受け入れていかなければいかないのが患者の宿命。

 

でも、希望はある。

病院から見捨てられ、病院を追い出され、再発がんを克服した人々は、たくさんいるからだ。

 

ピンチはチャンス。

腹は決まっているけれど。あせらずに、この休みの間にじっくり考えることにしよう。

もちろん、温熱、食事、生活と、できる限りの免疫治療は続けていく。

来年の自分に、期待したい。 

 

 

 

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