食で人を幸せに

 

がん患者が死ぬときは、やせ細って死んでいく場合が多い。

例外はあると思うが、食欲旺盛なまま、太りながら死んでいく人はいないだろう。

 

亡き妻千恵は、生きるために食べた。

料理が苦手だったが、毎日、台所に立った。

いつの間にか、料理が大好きになり、講師を務めるほどになった。

 

「私の病気が治ったら、しんちゃんとカフェをやろうね」

夫婦で「人生の楽園」に出演することを目指していた。

 

妻が他界して今年の夏で15年。

娘は「食で人を幸せにする仕事がしたい」と、大学で「フード・マネジメント」を勉強中。

僕たち夫婦の夢は叶わなかったが、妻の志はしっかりと娘に引き継がれている。

 

2021年春、高校を卒業。中村学園大栄養科学部フード・マネジメント学科に入学。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

成績が悪かろうが、不登校になろうが、生きてさえいてくれれば、それでいい。

天寿を全うしてくれ。パパの願いは、ただそれだけ。

 

 

以下、2006年12月15日に千恵が書いたブログ。もし、自分が余命宣告をされたとき、妻のように強い心を持つことができるか。まったく自信がない。

 

余命宣告(2006年12月15日)

 

がんになってから、余命宣告という言葉や場面に何度となく接してきた。
でも、余命宣告って何だろうかという思いが、年々強くなる。

昨日、離島の医療問題をテーマにしたドラマを何気なく見ていたら、医者のセリフで「正確には、がんには治る治らないとかいう言い方はできないんです~中略~要は、生存率でしか判断ができないんです」という言い方をしていた。全国区のドラマで、こんなことを堂々と言うのだ。もはや、人間の頭の中には、「がんは治らないもの」というのが、きっちりとインプットされてしまっている。

私の場合。

3カ月前の主治医の言葉をそのまま借りると…
「このままの調子だと、3カ月後には肝臓がほぼ腫瘍で埋まります。そうすると、正常な細胞がなくなりますから、肝臓が働かなくなります。肝臓が動かなくなると、黄疸が出たり、疲れが激しくなりますから寝たきりになるでしょう」

「あと3カ月しかないんですよ」とも受け取れる重い言葉だった。


確かに、その時一緒に画像を見た限りでは、私の肝臓は最大の物で4センチの塊がごろごろ。
あとは、それよりも小さいけれど、数えるのが嫌になりそうなくらい腫瘍がたくさんちらばっていた。

あれから3カ月。

・・・・。


黄疸出てない…。

確かに、以前より疲れやすくなったかといえば、そうかもしれないけど。三十路超えましたしね。疲れやすくなるかとも思います。

それに第一、死ぬ気配なんかは、ゼロです…。



余命宣告って、本当に、何だろう。

余命宣告を受けた後、みるみる衰弱し、

亡くなっていった友を何度も見てきた。

 

言葉の通りに、亡くなるのだ。


余命宣告とは、

患者にショックを与え、涙を流させ、苦しめる。
それ以外の何ものでもない気がする。

人間に、人の寿命は決められない。
余命宣告は、覆すことができると思うのだ。

 

 


毎日、これだけ食べてりゃ、突発的な事故以外では死なないと思いますが^^;