ジャッジの難しさ | 蓮華の笑顔で花道を飾る!

蓮華の笑顔で花道を飾る!

日常の思いの言語化習慣

ありがとうございます😊


千葉市緑区は爽やかな好天。


子どもの部活の総体を応援に。


公立の文武両道の純真無垢な選手達。


一方で、私学格上ながら対戦相手にリスペクトが無いと感じざるを得ない、漫画に出てきそうなあまり気持ちよく見る事が出来ない対戦相手。


部活動を教育の場と考えた時、これは指導者にレッドカードだよなぁ。


奇跡的に一矢報いて、もはやと思わせる延長突入でしたが、やはり最後は自力に勝る相手の勝利。


ただ、審判のジャッジに保護者席は常にザワザワ。


子どもたちの人生を決めるような試合の笛を吹くというのは、責任重大です。


ジャッジするというのは、大変な事。


審判はこれしかない!という思いで笛を吹くのでしょうが、1人の人の見える範囲は限られています。


その審判の体調や気分、思い込み、トラウマ的体験。


どれだけスキルがあっても所詮人間。


公明正大、完全無欠なジャッジなんてあり得ない。


ひるがえって、我々の日常。


相手へのジャッジなんて、それこそ正確な訳がない。


審判ならば、特別な教育受けて審判の資格を得て更に経験を積んでフィールドに上がる。


私たちは、誰からもそれをならわないまま、自分の限られた経験と思い込みで人をジャッジしてしまう。


その一言や一文で相手の人生や生活が破綻する事を気にするより、今夜の晩御飯やテレビ番組の方が大事。


そんな不確実な日常。


自分がジャッジする側、される側、どちらにもなり得る。


では、どうすれば良いのか?


目の前の事に集中。

ただ目の前の1人に集中。


そこに尽きるように思いますが、皆さんはいかがですか?


ジャッジしなければ良いじゃん!と声が聞こえてきそうですが、しないといけない時もあります。


ジャッジ!断罪!

ダッシュ勝平!

ドッジ弾平!

伊奈かっぺい!


なんだか訳が分からなくなりました。


ただこうして考えてみると、対戦相手の子たちも、指導者も、審判も、家族や大事な人がいて、色々なバックボーンがあって、今日この場にいる。


だからこそ、一瞬思う事があったとしても、最後は尊敬しあえるような関係に。


だからこそ、


誰もが尊敬しあえる世界にする!


このミッションを忘れずに。


時折忘れても、思い出します!笑😆


忘れるからこそ、こうしてアウトプット!


イージョウ!(厚切りジェイソン)


蓮華の笑顔で花道を飾る!


「ほめ達!」公式サイト - 一般社団法人日本ほめる達人協会

 

1172日