伝わらない時 | 蓮華の笑顔で花道を飾る!

蓮華の笑顔で花道を飾る!

日常の思いの言語化習慣

ありがとうございます😊


千葉市緑区は今日も暖かな1日。


さて、


自分と他人とは絶望的に違う


度々お伝えしている、ほめ達!語録。


自分と他人との違いを認め、それをチカラに変える。


言葉で言うほど簡単でない。


人間はほおっておくと、相手のマイナスばかりを見てしまう。それは本能のようなもの。


それを知った上で、マイナスでなくプラスを見る。

マイナスをプラスに変換する。


誰の為?何のため?


自分の為。心を整えるため。

相手を変えるのではなく、相手との関係性を変える。


それにしても…


「絶望感に違う」とはいえ、あまりに伝わらないとキツイものがある。


そんな時はついつい、「違い」を「間違い」に捉える。


あなたが間違っている。

あなたが悪い。

何で分からないんだ。

いつになったら分かるんだ。


そんな事を考えていたら、ある事に気付いた。


伝えたい「思い」があったり、相手に「期待」するものがあればあるほど伝わらない。


逆に、それほどの関係性でもない人や、近しい関係でもない人の方が、意外と自分の事を見てくれていて、心情や状況を分かってくれていたりする。


何故か?


「思い」が「重い」ばっかりに、相手に届かない。


野球のボールや、サッカーボールであれば、


ポーン、と相手に届く。力も必要ない。力む必要もない。


ところが、ボーリングのボールのような「思い」は、投げるにも蹴るにも重すぎる。


だから相手に届かない。

無理に投げようとしたら、自分が痛める。

力いっぱい投げれたとしても、そんな重い玉は受け取れない。

受け取ったとしても怪我をする。


重い思いは、なかなか届かない。


それを伝える力。


思いに見合うだけの伝える力。


自分にとって当たり前の「思い」が、相手には「重い」としたら、どうやって届ければ良いのか?


小分けにする?

伝えるチカラをつける?

受け手を変える?


打つ手はまだまだある。


ただそこに、何も変えずにただ「伝わらない、伝わらない」と言ってる自分がいるだけだ。


思いがあるからこそ、その「重い」ことを自覚して、どう伝えるか?


課題ですねぇ。


蓮華の笑顔で花道を飾る!


「ほめ達!」公式サイト - 一般社団法人日本ほめる達人協会

 

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