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千葉市緑区は今日も暖かな1日。
さて、
自分と他人とは絶望的に違う
度々お伝えしている、ほめ達!語録。
自分と他人との違いを認め、それをチカラに変える。
言葉で言うほど簡単でない。
人間はほおっておくと、相手のマイナスばかりを見てしまう。それは本能のようなもの。
それを知った上で、マイナスでなくプラスを見る。
マイナスをプラスに変換する。
誰の為?何のため?
自分の為。心を整えるため。
相手を変えるのではなく、相手との関係性を変える。
それにしても…
「絶望感に違う」とはいえ、あまりに伝わらないとキツイものがある。
そんな時はついつい、「違い」を「間違い」に捉える。
あなたが間違っている。
あなたが悪い。
何で分からないんだ。
いつになったら分かるんだ。
そんな事を考えていたら、ある事に気付いた。
伝えたい「思い」があったり、相手に「期待」するものがあればあるほど伝わらない。
逆に、それほどの関係性でもない人や、近しい関係でもない人の方が、意外と自分の事を見てくれていて、心情や状況を分かってくれていたりする。
何故か?
「思い」が「重い」ばっかりに、相手に届かない。
野球のボールや、サッカーボールであれば、
ポーン、と相手に届く。力も必要ない。力む必要もない。
ところが、ボーリングのボールのような「思い」は、投げるにも蹴るにも重すぎる。
だから相手に届かない。
無理に投げようとしたら、自分が痛める。
力いっぱい投げれたとしても、そんな重い玉は受け取れない。
受け取ったとしても怪我をする。
重い思いは、なかなか届かない。
それを伝える力。
思いに見合うだけの伝える力。
自分にとって当たり前の「思い」が、相手には「重い」としたら、どうやって届ければ良いのか?
小分けにする?
伝えるチカラをつける?
受け手を変える?
打つ手はまだまだある。
ただそこに、何も変えずにただ「伝わらない、伝わらない」と言ってる自分がいるだけだ。
思いがあるからこそ、その「重い」ことを自覚して、どう伝えるか?
課題ですねぇ。
蓮華の笑顔で花道を飾る!
1050日