高崎から新幹線で新潟へ向かいます。
上越新幹線は、平野部と山間部の変化が最も顕著と言えるでしょう。
簡単に言って、高崎から長岡まではほぼトンネル。
それ以外の区間は、トンネルがなし。
長いトンネルと通過すると一瞬、山の風景が垣間見れ、すぐにトンネル。そして、駅という極端な、ある意味面白味がない路線ではあります。
前回の記事で、高崎から長岡まで大いに迷った、と書きました。
この上越国境は、上越新幹線の大清水トンネルで越えるか、在来線で越えるかで大きな風景の違いがあります。
特に冬は格別で、あまりにも有名な川端康成の小説「雪国」の世界を体感できます。
この冒頭で、
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。」
と始まっています。
ちなみに高校時代の国語教師から
「この国境は、「こっきょう」ではなく「くにざかい」と読むのが正しい」
と教えられたことがあります。
※これについては諸説ありますが、本稿は文学研究論を語るわけではないので、ここでは、当時の意見を尊重して記載します。
ニュアンス的には確かに「くにざかい」の方が日本の旧国名の境、という意味合いに近いような気がします。
しかし、厳密にいうとこの国境を体感することは、今はできません。
というのは、この小説が書かれた当時は、上越線は単線で、今の上り線(越後湯沢から水上方面)の線路を使用しており、ループ線を登って、清水トンネルを潜って”雪国”に突入していたのです。
なので、ループ線を通らない新ルートの下り線では、清水トンネルよりも長い新清水トンネルを通っており、トンネルを抜けた時の風景は、小説世界とは実は違っているはずです。
鉄道ファンとしては、どうでもいいことが気になってしまうのですが、この信号所というのは正式には信号場ですね。それからこの信号場は現在の土樽駅だと思われます。そのことからも、当時は単線で行き違いのために(土樽)信号場に停車したのだと思われます。
それでも、この上越国境の前後での雪の有無は、日本でも屈指と言えるでしょう。
日本の脊梁山脈、一般的に日本海側と太平洋側で冬の風景は大きく違い、日本海側に行くと、冬は雪の風景にガラッと変わります。
ただ、他の峠については、風向や寒気の強さ等々で、太平洋側へ雪雲が流れることも多々あり、峠を越える前から徐々に雪の嵩が増えていくことが、実は多いのです。
それが、上越国境については、谷川岳をはじめとする山々が急峻であり、地形や風向の影響もあって、関東地方側は晴天、日本海側に抜けた途端に大雪、ということが多いのでこの変化が顕著になります。
高校時代に、この上越線の新清水トンネルを抜けて、初めて”雪国”に行ったときには、感動しました。12月下旬ということもあって、積雪はまだそれほどでもなかったのですが、間断なく降りしきる雪に車内の人たちからどよめきが起こったことを今でも思い出します。
上越新幹線では、これほどまでではないものの、快晴の高崎から少しの乗車で越後湯沢の豪雪の風景というのは、これはこれで感動に値するでしょう。
そんなことで、特に冬は上越線の在来線を乗りたいのですが、とにかく不便。
今回は、この後の接続からいって、やはり新幹線を選択してしまいました。
今日は4月ですが、やや冬型気味の気圧配置で、山間部はにわか雨状態。トンネルをいくつも潜って、あっという間に長岡。そして、燕三条で意外に多くの乗車があり新潟着。
新潟から、白新線、羽越本線の秋田行特急「いなほ」にすぐに接続し、この「いなほ」に乗る人は、同じホームで乗り換えができます。
終点の新潟では、降車客が右側ドア、「つばさ」への乗り換え客は左側ドアと案内され、両方のドアが開きました。
意外に乗り換えする人は多くなく、拍子抜けしてしまいました。
自由席で海側の窓側に座れるかドキドキでしたが、杞憂に終わり、乗車率40%程度で、秋田へ向けて発車しました。
次回へ続く