フィヨルドをみる

 

今日は、ヴォスという町から、ベルゲン鉄道(オスロからヴォスまで乗ってきた鉄道路線の通称?)でミュールダールという駅まで戻り、フロム線という支線で標高0mのフィヨルドの海岸まで下り、フェリーでグドバンゲンまでフィヨルド観光をしながら移動。更にここからバスでまたヴォスに戻るというルートで旅をします。

このモデルルートは当時の「地球の歩き方」に紹介されていましたし、現在はネットで検索すると写真付きでたくさん紹介されています。そのため、景色が良かった!とかフィヨルドに感動!!!とかいうことは、ここで書いても仕方ないので、あくまでも主観で風景よりも私たちの心の動きを中心に綴ります。

ちなみに、このルートは、フィヨルド観光の王道でもあり、その名の通り非常に素晴らしい景色を堪能できたことはいうまでもありません。


ということで、1988年3月7日。スタートはヴォスの町からとなります。このヴォスは、ベルゲン鉄道の終点、ベルゲンまで距離はありますし、周りが山に囲まれているので、標高は結構高い場所にあると思っていました。しかし、今回の記事を綴るにあたって、標高を調べてみると、なんと56m。ほとんど海面に近い場所まで下ってきていたのです。ここから、上記のフロム線分岐のミュールダールへ一旦戻るのですが、このミュールダールの標高は860m程度。つまり、これから800mも上ることになります。しかし、このベルゲン鉄道は、日本でいう本線のように立派な路線ということもあるのか、勾配を登っている感覚がありませんでした。そのため、ヴォスも標高が高いと勘違いしていたのでしょう。

乗換駅のミュールダールでフロム行の列車に乗り込むと、観光客がたくさん乗ってきました。日本人も何人かいて、女性の一人旅の人もいました。やはり観光路線だなあ、と何とも言えない気分になりました。久しぶりの日本人、それも女性がいたということでYは子供のようにはしゃいで、私が友達でいることが恥ずかしかったほどです。

日本を旅してても、確かに色々な人と話をしてきて、友達になった人もいます。それでも、友達を作るために旅をしているわけではないので、自分の旅を見失ってはいけないとも思いました。Yはそこまでひどくはなかったからよかったものの、当時は北欧を除くヨーロッパは、日本人学生の卒業旅行で行く旅先として定番でした。日本人はガイドブックに載っている有名なところしか行かない傾向があるので、有名な観光地では日本人、それも学生グループによく会いました。

このような人たちは、往々にして殻に閉じこもったように自分たちだけの世界を持っているので、異国にいても日本にいるのとそれほど変わらない行動をしますし、積極的に色々な人とコミュニケーションをとらない傾向があるように感じました。せっかくの旅なのに、残念なことだと思います。。。と、当時の私は上から目線で思ったりしてましたが、まあ、旅の目的は人それぞれだし、人のことをとやかく言うよりも、自分に合致した旅ができれば、それでいいですよね。。。と歳を重ねて思えるようになりました。

Yのおかげで、風景をじっくり見ることがおろそかになってしまいました。確かに景色がよかったのですが、前評判がいいと期待しすぎてこんなものかとも思ってしまいます。今までが、絶景という風景というよりも、厳しい国を旅してきたので、急に観光地にきて、戸惑ったのかもしれません。

1時間ほど走ってあっけなく終点のフロム着。

それでも終点のフロムは、日本人がいようといまいと、それを超えるだけの景観でした。まさに、写真で観たあのフィヨルドです。海の両側は切り立った崖。湖のように波一つない海面。これ、舐めてみると当たり前ですが、塩辛いことが確認できました。

ここフロムは、緯度にすると稚内よりずっと北にあるのですが、海面が凍っていません。非常に暖かいメキシコ湾流という暖流が近くを流れていることで、海は凍らず、気候も暖かいのだそうです。昨日の朝は、凍った海を航海したのですが、ここはそれより北にあるにもかかわらず、暖かいというのは不思議な気がします。気温も0℃を超えています。ここから今度はフェリーでグドバンゲンというところまで行きます。

なんか、観光客ばかりで少々嫌気がさしたので、私たちは出航の時間まで周辺を歩けるだけ歩きました。ここまで来て、日本人のグループ旅行のような旅はしたくないと言うことは、私たちは何も言わなくても暗黙でわかっていました。

これから乗るフェリーは、観光客相手のように見えるのですが、実は地元の人にとっては、大切な足でもある、とガイドブックに書いてありました。ノルウェーの大西洋側は大半がフィヨルドの地形なので、直線距離で10km程度の距離でも陸路で行こうとすると、大きく迂回するか、山を越えなければならないことになります。その点、海がずっと奥まで入り込んでいるので、フェリーの方が優位なのでしょう。地元の人はバスに乗る感覚で、フェリーで移動するのですね。

気温は低いのですが、乗船後すぐに船のデッキに立って、波一つない海と断崖を眺めました。彼方まで続く断崖の連続と、湖のような海面を淡々と走る船。景色がよすぎても単調な風景は眠気を誘います。そして、ゆっくりと暮れる淡い青から赤味が次第に増えるように空の色が変化していきました。

同じ港に戻ったかと錯覚するようなミュールダールの港に、1時間半で到着しました。

ミュールダールは、それこそ何もないところでした。港の待合所はログハウスで、ただの小さな集会場のような感じです。あとは近くに集落が何軒かあるだけ。そして空はほとんど暮れかかっています。このあとはバスで今夜の宿のあるヴォスまで戻るのですが、まだ2時間もあります。

この2時間は、思い思いの時間を過ごしました。ヨーロッパだけまわっていた日本人の学生たちはいつのまにかグループのようになってしまっていました。しかし、私たちはなんとなくその中に溶け込めない雰囲気でした。今まで、中国から、厳しいソ連を旅してきた身には、ヨーロッパの観光旅行が生ぬるい道楽のように見えてならなかったのです。(偏見もあるでしょうし、上記と同様に上から目線のようですが、当時の率直な感想なので、嫌な奴と思われるのを覚悟で当時の思いをそのままここでは書きました)。

ヨーロッパを旅していると、国を変わるたびに両替しきれないコインがたまっていきます。待合所で彼らはこの通貨(コイン)の交換会(自慢話?)をはじめたので、私たちはそっと席をはずし、新鮮な空気を吸いに外に出ました。外の空気はピンと張り詰めて、緊張感のある冷え込みになっていました。この静寂はなかなか味わえないものです。

待合所に戻ってみると、彼らはイスで気持ちよく居眠り。でも、その間に私たちは、きれいな空気と、真っ暗な町の景色、輝き始めた星空を見ることができ、ちょっと得した気分になりました。

バスは真っ暗な中を2時間かけて21時にヴォスに到着しました。

このバス、すごい断崖絶壁と絶景の中を走ると聞いていたのですが、真っ暗で何も見えなかったのが残念でした。

ヴォスについてみると、朝に出たときはなんと小さな町かと思ったのですが、今は大都会に見えます。金髪でロングヘアの女性スタッフも待っていてくれました(別に私を待っていてくれたわけじゃなくて、仕事で残ってただけなんだろうけれど)。ただ、夕食はほとんど売り切れてしまっていて、インスタントのようなパックのパスタしかありません。それを買って、レンジで温めてくれたものを食べようとするのですが、温め方が弱く中が冷たい。わざわざクレームも面倒で、どうしようかとも思ったのですが、

私は、

「It's a cold!」

と言ったら、すぐに謝ってくれて、すぐに笑顔で温めなおしてくれました。

私は

「Good!」

といって一件落着。なんか感じのいい娘でした!

残念ながら、これで名前や住所を聞いたり文通をしたりしたわけではなく、これ以降なにもありません。今の時代でしたらメールアドレスを交換して英語でやりとりということもできたかもしれませんね。

部屋には、一人旅のスイス人学生がいました。英語で少し話してみると、春休みにちょっと旅をしているといいます。ヨーロッパは、本当に国境を簡単に越えられるのだなあとしみじみ思いました。

高校時代に日曜夜8時から久米宏司会の日本テレビ系列の番組(「テレビスクランブル」だったと思います)の中で、こんなところに日本人!みたいなコーナーがありました。

これは外国の辺境(と当時は思われる場所)に住む日本人にインタビューしている間に、キッチンを借りてスタッフがサプライズで最高のお茶漬けを食べてもらうという企画でした。

その中でノルウェー在住の女性がインタビューされている時がありました。その女性はそれこそ相当な覚悟でノルウェーにきたのでしょう。インタビューでも日本よりも北欧のこの地で生活をしていくんだ、という気概が感じられました。でもサプライズでお茶漬けを出されると涙して故郷の日本を思い出していた場面を思い出しました。この番組を観た当時高校生だった私は、なぜこんな偏狭なところにわざわざ日本人が住むのかと思ったものですが、こうしてノルウェーを旅してみると、ほんの少し彼女の気持ちがわかるような気がしました。


私は、そんなことを思いながら、あっという間に眠りにつきました。

 

(次回へ続く)