先日、実家で法事があったので、3月に続いて千葉へ帰省しました。

 

仕事が終わった後、実家に向かったのですが、どうしても実家着が深夜になってしまうので、羽田到着後、近隣で宿泊して、翌日早朝にレンタカーで実家に向かうことにしました。

 

今回は、たまたま安いレンタカーが予約できたのが総武線稲毛駅でした。

 

この稲毛駅。

私が高校時代の3年間通学で利用した駅でした。

もう40年近く前になってしまったわけですが、この稲毛駅からバスで15分の終点「京成団地」停留所から10分ほど歩いたところにある千葉北高校へ通学していたのです。

当時は総武快速線が複々線(快速と緩行の分離)となり、稲毛駅にも快速が停車するようになってからそれほど年月が経っていませんでした。

そのため、まだ駅も周辺も新しく、北口のラオックス(レコード店で品ぞろえが良い)は、帰りに立ち寄って新譜レコードを探していました。

そして、私の喫茶店デビューもこの稲毛駅北口。今はもうその喫茶店の面影もありませんが、珈琲の味もわからない高校生が良く行ったものだと思います。

 

そんな感じで、急に高校時代を思い出してしまったので、急に出身高校がどうなっているか見たくなり、レンタカーを借りた後、実家に直行せずに立ち寄ることにしました。

 

当時のバスルートを迷いながら、そして当時を思い出しながら進み、京成バスの「京成団地」停留所の車庫前へ。


この京成バスの車庫では、高校時代に嫌な思い出がありました。

 

夏休みに部活のため、バスでいつもの様に通学。バスが終点のバス停「京成団地」に到着し、降りようとしたら、急にバスのドアが閉まり、動き出してしまったのです。何事かと思い、バス内で立ち止まったまま呆然としていると車庫で停まりやっと運転手はドアを開けてくれました。


この運転手は同僚に聞こえるように

「北高の生徒は、行動が遅い!」

とぼやいていました。


その時、私と女子生徒2人の合計3人が乗っていて一般の乗客がいないからこそこんな暴挙に出たのでしょう。私たちは、驚いて声も出せませんでした。

今はこんな運転手がいたら、即ネットで炎上でしょうが、当時はこの嫌な体験をどうしたらいいかわからず、ただただ泣き寝入りするしかありませんでした。

あくまでも昭和の頃の話ですが、この頃は京成電鉄も京成バスも態度が横柄な社員が多く、それを知っているからこそ乗客も荒んでかなり険悪な空気感がありました。

 

今は、バスに乗ると「安全のため、バスが停車してからお降りください。」と放送が流れます。

これを思うと、今と昭和のバス会社の姿勢は雲泥の差がありますね。

 

もう時効なのでしょうが、この車庫に立ち寄って当時のクレームを言ってやろうかとほんのちょっと思ったりもしました。

が、当時は当時。時代は平成を経て令和となり、横目で見ると、女性の乗務員さんがなにやら真剣に仕事をしているところをみて、時代は変わったなと思い、やっと当時のことを水に流そうと思えるようになりました。

 

そこから出身高校へむかうと、当時は校舎から一面の畑が見えていたのですが、それが全て住宅地に!

すっかり時代の流れを感じてしまいました。

 

それでも、校舎は古くなっていても同じ。窓を開けて騒いでいる高校生たちに思わず、顔がほころびました。

間違いなく、昭和の時代、私はここにいたんだ、という感慨がこみ上げてきました。

 

校門前で写真を撮ろうとしたのですが、さすがに不審者と思わそうなので、泣く泣く自嘲し、裏の校庭側にコンビニがあったので、その駐車場から校舎を撮影。

 



なかなか楽しい寄り道でした。

 

次回へ続く


次回は、法事後に日本海北上の旅をします。