[ここでの話]
幸せとはどの様なものかと言うと"真実にある真実"と言う話になります。


[幸せが真実にある真実とは?]
例えば、病気をしたとします。
病気は幸せではないですが、真実を見ると、それは「健康は当たり前ではないと気づく」で、そしてここから"真実にある真実"を見てみます。
その真実にある真実は「病気から健康の素晴らしさを学んだ、自分と同じ症状の人の力に少しなれる、病気があったから今の自分になれたし、支えてくれた人も沢山居る、これって幸せだな」となり、真実にある真実を見ると"幸せ"になれる訳です。
この幸せの良い所は、今からでも、真実にある真実を見ることで幸せになれます。


他には、自分(男性)が異性にモテないとします。
そこだけ見れば、幸せではないです。
ただ、異性にモテない真実を見ると、「俺はモテないから、恋人ができても浮気はしない、それはモテないを経験したからそう思える」となります。
そこから真実にある真実を見ると、「結婚したら俺は妻の為なら頑張れそう、モテない俺を選んだ人だから」となります。
そう言ったモテない自分を経験する事で、結婚したら、浮気もしない、奥さんも大事にできて、その結果、自分も幸せになれる訳です。
ですから、自分に起きた現象だけ見れば、不幸せや辛いですが、そこの真実にある真実を見ることで、"幸せ"が生まれる場合があります。


[まとめ]
幸せとは"真実にある真実"と言う話でした。
自分に起きた不幸せを、まずはその真実を見て、その後にさらに、真実にある真実を見ることで、幸せが生まれる事がある話でした。

自分に起きたものの、真実のさらにそこにある真実を読み取ってみれば、幸せになれる受け取り方ができる場合もあるって事です。