ここまで断続的に懇々と考えてきて


まあ少し、すっきりした。


私は若干、実は薄情な方だと思っている。

裏切るのも裏切られるのも当たり前

人の心は縛らないし私の心も縛れない


みたいな感覚でいた。

みんながそうだと思っていたし。

ただ、バレないようにはしていた。


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このところで、幼少期の頃を振り返り

自分が親に対してちょっと引いてたこと

ぶつかれるだけの愛情を感じていなかったこと

だから「成果を上げないと愛されない」と

思っていたことがわかった。


いや、そのことはわかっていたけど

それは私が変わってるからだ

生まれた時から脳内が薄情だったからだ


と、思っていた。けど多分違って、


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私の問題は、薄情だけではない。

掃除が苦手だったり、料理の段取りがつかなかったり

計算も間違える。

すぐうろたえるし、落ち着きがない。

電話や店員さんに用を伝えるのが苦手。

(前記事の「ぼーっとする」もそう)


いわゆる「発達障害」のような

このような傾向は、幼児期にはよくある


大人になるにつれ、減っていく。

大人になっても残ることもある。


克服しようと苦しんで、

先天性のものなのかもと開き直り楽になり、

でも多分違って、


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掛け値なしの愛情を、感じられていたなら。

怒られても泣いても、それでも親にしがみついて

謝って話し合って、甘えられたなら。


その過程がごっそり抜けていて、

私の中の「機能不全」が

修正されないままだったのだ。


怒られないよう生きて

怒られたら言い訳もできず黙り

フラストレーションは空想で消化して

「この子は昔から変わってるのよ」と

諦められた私は 未だ、


子どものままだったのだ。


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夏休みなので、母と遊んできた。

天真爛漫で、何も変わらない。

優しくないわけじゃない。

愛情が無かったわけじゃなかったろう。

普通の家庭。

家族全員が、そう思っていた。いやいる。


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ここまで考え至れたのは良かったと思う。


今日は「だからどうした」まで、いけた。


いろんな育ち方があって、

みんなそれぞれ正解があって、

それの何がいけないのか。


過去は変えられない。


私はありのまま生きる。

せめて無駄に苦しまないために、


考えて良かった。



ではまた