今日は小雨でしたが父の命日に東京にいなかったので

お墓まいりへ。

 

お墓にはたくさんのお花!お寄せいただき

ありがとうございました。

写真は先日行った33回忌の法事のときの写真です。

(富麗華さんにて。すてきなお花のアレンジありがとうございました!)

 

毎日が特別なので、命日だから、ということはないのですが

ひとつの節目として、大切に思いながら

息子と、母と、父に感謝の気持ちを伝えてきました。

もちろん、お墓にいかなくとも見守ってくれてると

思っていますし、いつもなんどきも近くに感じていますが

なんとなく、いついってもお墓まいりはこころが落ち着くものです。

 

御巣鷹山にのぼられますか?

という質問もよくいただきますが、正直

わたしにとっては辛い場所で、数回行ったことは

ありますが、いつもの、でも特別な

日常の場所で祈りたい。これが

わたしの8月です。

 

もちろん、慰霊登山をしてくださる方への感謝の気持ちや

風化させないために尽力くださっている方への

思いは言いつくせません。

 

しかしながら、悲しみの形も、大切なひとへの

思いを伝えるかたちも、ひとそれぞれ。

こうでなくではいけない、はないと思うのです。

 

東日本大震災で大切な方との別れを経験された方や

津波に遭われた方も、それぞれの向き合い方をされてる

ように感じています。

海へは2度と行きたくないという方も

海へ毎日行って近くに感じたいという方も

そこに正解などなく、ご自身が一番安心できる形で

悲しみと向き合うも、まぎらわすも、それをだれかによい、悪いと判断されることはあってはならないと思います。

 

どうぞ、ご自分の心を何より大切に

過ごしてほしいと思います。

 

そして、もしできれば、父が亡くなった日に

どういう衝撃を受けて、どういう1日を過ごされていたか

というお話は、ご自身の中で大切にしていただければ

うれしいです。

まだまだわたしは未熟者で、そういったお話を

なんでもないこととして聞き流すことはできないのです。

 

もしかすると、同じような感覚を持たれてる方も

いらっしゃるかもしれません。

そいういうときに、やめてほしい、と素直に相手に

伝えることは決して失礼なことではないと

わたしは思います!そこに愛があれば!^_^

 

以前にもご紹介しましたが、

「さようなら、あの日」という曲を。

悲しみにある方が、その悲しみと少しでも

寄り添って生きていけますように。

 

さようなら、あの日(hard times comes again no

 more)

日本語詞 大島花子

 

さようなら 涙 別れを言おう

そろそろ 歩き出そう

 

終わりない涙 ならば泣くよりも

あなたと 歩いてゆこう

 

これ以上 いらない もうもう つらいのは

この傷を抱いて 生きてゆく

この傷と歩いてゆこう

 

 

さようなら あの日 忘れさせてほしい

夢だったといってみて

さようなら あの日 消せないのならば

早く時間よ過ぎ去って

 

これ以上 やめよう もうなぜと 責めるのは

理由なんてない わからなくていい

だれのせいでも ないんだよ

 

さようなら あなた 明日を生きて行く

力をくれた人

さようなら あなた 空より果てなく

命を感じている

 

これ以上いらない もう もう 悲しみは

希望をだれかに 手渡しできる日

信じて歩いて行こう