もちろん職員の環境改善のためにやろうとして、見当違いだったこともたくさんある。

「この方法なら職員の悩みは解決するだろう」
「こうしたらこの人は幸せになれるだろう」
と思ったのに迷惑だったり、それをしてもほかにもっと重要な拘りがあって前に進めなかったり。


過去の社長とハナコに「それじゃないよ」と忠告したいことがたくさんある。


しかしそれもこれも含めて、やってみて失敗も成功もして、そのことで我々は多くを学んだ。


職員も同じだ。

先輩同僚として教育に携わってようやく半人前…と思ったら、明日やめてしまったり。
関係性を構築することが難しい相手に気を遣いながらチームで動けるようにしていたら、自分を悪者にされてやめてしまったり。

様々な経験を経て職員もチームを組んでいくという意識が高まり、変化していった。
残っていく職員たちのチームは、どんどん成長していった。今現在の進化は物凄い。


様々な対策をしてその後持ち堪え、長く勤めてくれる人はたとえほんの少しでも「この会社でなければ」という気持ちが見える。


「ここならきっと気持ちよく働ける」
「ここで楽しく働けたらいいな」
と、どこかで思ってくれていると、酷い揉め事やうまくいかないことが出てきても工夫や努力が続けられる。
理念や方針を理解出来ていなくてもそれを「理解しよう」という気持ちがほんの少しでもあると、そうなっていく。


去っていった人たちを思うと、それはない。
「ここでうまくやってやる」とは思っていても「別に他でもいいや」とも思っている。

多かれ少なかれ「互いに理解し合う?自分のことを理解してくれないならそんなの無意味」と言う言葉にそっくりな事を皆が語り、理念を理解する気持ちは全く無い。

「そんなことをしろ(気に入らない相手または経営者を理解すること)と言われたら、自分は幸福になれない」とはっきり言ってやめた人は1人や2人ではない。


これも覆す方法を見つけようと何度も試みたが、非常に難しい。
ここを理解出来たら、ここで心を開いてくれたら、と思うところが見えても、動かせない。


何度もこうしたことを経て、きっとそう言う人にとっての「幸せになれる場所」や「仲間」は、私たちが築こうとしているものとは少し違うのだろうと感じる。


幸せの形は一人一人違う。
その人を生かせる場所もそれぞれだと思う。

だから、ここでの体験を経てその人もまた別の場所で少し変化して、成長して、その人なりの幸せを見つけているのだろう。

素晴らしい会社はたくさんあるのだから、
「ここなら幸せになれる」というその人の場所に行っているだろう。


そして彼らは、力及ばなかった私たちに「経験」という宝を置いていってくれた。


そんな風に考えている。