父の今後の生活の場を思い悩みながら、自分の右手を使わない生活を続けていたある日、レスパイト入院させてくれていた病院から連絡が入り、退院日を告げられた。

 

 退院後の生活の場を決めかねているにもかかわらず、入院継続の終了期限が無情にもやってくる現実。

 

 この病院にずっと今の生活スタイルで入院継続できたなら、費用負担も軽微で済むし、父は現状維持できるし、私は仕事に専念できる。

 

 それって本当に最高なんだけど、もちろんそれはできないということも現実。

 

 ならばと、別の病院で入院を継続してはということになった。

 

 人に委ねて、介護費用を払ったとて、遅かれ早かれ父は身体機能も認知機能もどんどん劣化していくだろう。

 

 それならせめて、医師や看護師が数多くいて、費用負担の少ない医療保険での入院という形を選択したのだった。

 

 そう、父は医療費無料。

 

 入院すれば部屋代や食事代はかかるけど、多額の介護費用は掛からない。

 

 まだまだ自分のセルフケアすらままならない生活の中で、私は退院期限の到来宣告をもって、そういう選択をしたのだった。

 

 父を急遽レスパイト入院させてもらった時、馴染みの相談員さんに、周辺病院の話を聞いた。

 

 私自身もわかっていた事だけど、この病院に近いレベルの病院は皆無。

 

 転院すれば医療のレベルは確実に下がる。

 

 医療もだけど、たぶん父の生活レベルもだ。

 

 私との生活では父がベッドにいるのは就寝時のみだった。

 

 しかし、転院すれば、どうなるか。

 

 誤嚥性肺炎のリスクがあるからと言って、毎日3度の食事を全て胃瘻に切り替えられるかもしれない。

 

 かも知れない?

 

 嫌、これはかなり現実的に起こりうる話。

 

 そう、これまでもあったでしょう。

 

 それに、トイレで排泄もできない父が、食事が胃瘻となれば、もう、ベッドからおろしてもらえる機会は入浴だけ。

 

 つまり寝かされっぱなしになるということ。

 

 そうやって、父に犠牲を払ってもらいながら、自分が身体的にも経済的にも楽をする生活に、私は苦悩していた。

 

 本当に?

 それで良いの?

 

 でも、今まさに退院を迫られ、そして自分はまだ痛みを抱えているこの状況では、自宅に連れ帰ること等到底できず、以前使っていたショートスティの連続利用も考えたけど、車椅子から落ちてましたと、何の悪びれもなくただの報告のように連絡してきた事を思えば、その選択肢を選ぶ気にもなれず、私は結局悩みながら、その時が迫って転院の道を選んだのだった。

 

 積極的な治療が必要ない父を受け入れてくれる病院は通常あり得ないけれど、世の中にはいつまでも入院させてくれる病院が存在していることもまた事実で、私は知人である院長を頼って、自らお願いし、父を受け入れてもらうことにした。

 

 院長であったからこそ、急遽受け入れということも可能であったし、経口摂取に拘る私の意向も理解してくれた。

 

 本当にありがたかった。

 

 これで父も食事を食事として認知しながら、生きていくことができる。

 

 姉妹も喜んでいた。

 

 ただ一人、やはり私だけは、本当に大丈夫かな…そんな思いを拭い去る事が出来なかった。