ショートステイから戻った父がわずか二日で今度は入院となった事で、子供達は控えめに喜んでいた。

 

 控えめというのは、長いショート利用期間に、自分達が思う存分楽しめたこと、また父が難病に罹患してしまったことでそうなったのだと思われる。

 

 子供ながらに心配しているようだった。

 

 居れば居たで、ストレスの元凶となる父も、離れている期間が長くなると多少の恋しさも感じるようで、

 おじいちゃん、大丈夫かな…

と気遣う余裕がみられていた。

 

 私はというと、父が今度どんな状態になって退院してくるのか、どうであっても自分が看るしかないという覚悟をもって、今の内だと、自宅では開放感に浸り、職場では仕事に集中して、充実した毎日を送るのだった。

 

 夏休みが終わり、朝晩涼しくなってくると、亡くなった母の事を思い出す。

 

 寒暖の差が激しい季節、気を抜けば直ぐに体調を崩してしまうのが高齢者。

 

 それが引き金となって命を落としてしまう危険も…

 

 父も例外ではないと、入院時は真夏だったけれど、衣類の調節がしやすいように、必要な物を準備して、私はそれを病院に届けた。

 

 入院から約一月経った頃、例の総合病院受診があり、病院の玄関から父と再会し、二人で受診に出かけた。

 

 父を預かる時、現況について少し知る事が出来る。

 

 排便はどうか、食事はどうか、体調はどうか。

 

 私と自宅で暮らしている時より、父の認知機能は低下しているように感じたが、それでも期待していた通り、父の経口摂取機能は維持されていた。

 

 入院時に、あちらこちら水泡だらけで、手足もパンパンに浮腫んでいたのに、治療開始後1ヶ月で、既に新たな水泡形成は見られないという事だった。

 

 既にあった水泡が潰れて、浸出液を出し、皮膚は糜爛状態で、父の手足は包帯だらけではあったけど、今回の入院で、あの主治医が中心となり、病棟スタッフが皆、しっかり父をケアしてくれている事が感じられる結果だった。

 

 病棟での父の暮らしが如何なるものか、観察する事も世話をする事も出来ず、ただ家族は祈るのみしかできないが、それでもこうして時折会えた時の本人の様子で、家族は不安にもなるし、安心も出来るというものだ。

 

 今回の父は入院が正解だったと、私も心から安堵できた。

 

 しかし、総合病院ではまた新たな悩みも…

 

 この水泡性類天疱瘡の完治について、治療期間や経緯等を質問したところ、完治には年単位での時間がかかるとの回答を得たのだった。

 

 年単位?

 年単位?

 年単位?

 

 私は今後の父の生活の場について、どうしたものかと悩んだが、年単位というのはあくまで経過次第であって、水泡形成が継続的になければきっと自宅でも暮らしていけるはず!そう信じて、父の回復を祈るしかなかった。

 

 そして、これまでの様に、また父とデイサービスとショートステイの力を借りながら、共に暮らせる日が戻ってくると信じる事で、自分の不安を慰めるしかなかった。

 

 現状としては治療薬を減量できるようになっていたので、このまま悪化しませんようにと祈る日々の私であった。