8月15日。

 

 終戦記念日である。

 

 毎年この日は、このタイトルで投稿する事に決めている。

 

 日本人が忘れてはならない日だと思っているから。

 

 時代は変わり、当時に比べて物質的には豊かになった日本。

 

 でもそれに反して、心は貧しくなっている気がする。

 

 昔は、向こう三軒両隣とか言って、ご近所付き合いも豊富で、地域皆で子供を育てているような感覚すらあった。

 

 でも今は、私の住む周辺地域でさえも、町内の付き合いは激減し、煩わしささえ感じる人も居る。

 

 都会に行けば、隣に住んでいる人の顔さえ知らないとか。

 

 加えて、このコロナ。

 

 遠距離で暮らす家族ともなかなか会えず、電話やメールがあるとは言え、やはり物悲しさは否めない。

 

 更には、今、まさに他国においては信じられないような日常がある。

 

 ロシアによるウクライナ侵攻だ。

 

 行ったこともない国ではあるが、間違いなく、この地球上で現実に起こっている事。

 

 戦争。

 

 ショッピングセンターで買い物していたら、攻撃を受けて、一般人が何人も死に至る。

 

 平和に慣れてきた日本では、到底考えられないような現実だ。

 

 そして、恐ろしい事に、もはや核戦争すら危惧されている。

 

 核。

 

 原爆。

 

 その唯一被爆国の日本は、この地球において、2度と原爆投下がなされないように、全力で阻止しなければならない責務があると私は思う。

 

 戦争をやれと支持する人間、核のボタンを押す人間はいつも、その危険地域の中には居ない。

 

 トップの指示により、命令により、個人の意に反して、銃を、戦闘機を、戦車を、操っているのかもしれない。

 

 私は、人の命を奪うのも与えるのも、それは神のみであって、人であってはならないと考えている。

 

 例え犯罪者であっても、死刑には私は反対なのだ。

 

 法律に基づいていたとしても、人の命を奪うなら、それは殺人でしかない。

 

 死刑の命令を下すのも、そのボタンを押す者ではない訳だし、何とも無責任な話だと私は思う。

 

 ましてや核戦争ともなれば、一度に何千、何万という犠牲者を出すというだけではなく、地球の自然も大きく打撃を受ける事になる。

 

 どんな理由があっても、この地球に住む者が、この地球そのものを痛めつけるような愚行を冒してはならない。

 

 そもそも、今、地球は、つまらない事情で戦争している場合ではないはずである。

 

 世界における地球環境破壊は、深刻な状況だ。

 

 海底のプラごみ問題、温暖化による異常気象、そしてこのコロナ。

 

 世界の国々、そのトップの人達が皆で考えて、地球の為に今何をするべきかを話し合い、そしてすぐに行動するべきだ。

 

 そして日本は、つまらない理由で戦争を、核戦争を始めようとしている者に対して、原爆がどのように悲惨なものであるか、一度の投下でどれ程長い苦しい時間を強いられることになるのか、何度も何度も語り掛け、諦めず理解を得なければならない。

 

 そうでなければ、原爆投下によって苦しんだ全ての命、家族、その子孫に至るまで、浮かばれぬというものだ。

 

 人であるなら人を殺さない。

 

 過ちは繰り返さない。

 

 亡き人を偲び、先祖に感謝し、終戦という今日という日を心に刻んでおこう。