父が入院している病院から、それも主治医から電話というのは、なかなかドキッとするものである。
まさかもしや、コロナに感染した?
という思いもよぎったが、医師は淡々とこう述べた。
今回の入院は誤嚥性肺炎の疑いという事だったが、熱は翌日に下がり、その後右足が赤く腫れてきて、恐らく蜂窩織炎です。そろそろ退院の調整を。
コロナの事もあり、面会は出来ないので、今の父の食事について聞くと医師は、誤嚥性肺炎リスクがあるからもう胃瘻を使うべきだ。入院中は3食胃ろうです。と答えた。
おや?そうなのですか?
確か私の記憶が正しければ、入院前の診察時、顕著な誤嚥性肺炎の所見はなく、入院どうする?的な話だったと思うのですが…
という事は今回の熱、誤嚥性肺炎ではなく、蜂窩織炎だったという事ですよね?
それなのに、父にこれから先一生経口摂取するなという事ですか?
誤嚥性肺炎のリスクがあるから経口摂取を諦めて、完全胃瘻に切り替えるという事が間違っているとは言わない。
それも正解だ。
だけど、これからどう生きるかを決めるのは本人や家族ではないのか?
わかっている。
何日か絶飲食にした父に経口摂取を試みるという事は、誤嚥性肺炎リスクとの戦いだ。
失敗すればまた熱を出して、入院が長引くかもしれない。
今回の入院で初めて担当する、これまでの経緯も何も知らない医師にしてみれば、あっさり胃瘻を選択する方が楽な話だ。
他のスタッフだって、主治医の指示に従って、仕事をする訳だから、面倒な経口摂取の介助より、父をベッドに縛り付け、自己抜去も出来ないようにミトンをし、3食胃ろうにする方が遥かに楽である。
父が経口摂取をしなければ、口の中も汚れないし、口腔の清潔介助そのものも簡素化できる。
いったい誰の為の支援なのか。
私は、心の中でそんな想いが煮えたぎったが、医師には何も告げなかった。
入院時の外来診察で、さっぱりわからんとこぼした医師の言葉から、これまでの主治医の存在が如何に重要であったかを思い知ったし、今回の入院がこれまでと違うものになる事は容易に想像できたからだ。
一刻も早く、父をこの悪条件から救出しなければと感じた私は、早々に父の退院日の調整を行った。
今回の退院では退院時のカンファレンスもないというので、私は病棟の看護師に連絡し、父の現状について確認した。
排泄は全てベッド上でオムツ内。
食事は3食、ベッド上で胃瘻。
父がベッドから離れるのは生活リハビリでの15分。
歯磨きも口腔内をガーゼで拭うだけ。
父は入院後一度も口の中に水分を含んでいなかった。
酷い…
あ~、こんなにも違った姿で退院する事になろうとは。
例えば…
転ぶから、歩かせない。
誤嚥するから食べさせない。
そういう事ってよくある話。
でも、どうしてそれを他人が決めるの?
誰の命?
誰の人生?
誰の家族?
インフォームドコンセントって、一方的に説明する事ではないはず。
後方支援とは言っても、今後はここも使えないなと覚悟を決めた私だった。