先日、父は79歳の誕生日を迎えた。

 

 6月生まれの父は、幸か不幸か、父の日と誕生日を兼ねて、娘達から毎年贈り物をもらっている。

 

 もう、いつからだろうか。

 

 年々、何を贈るか、考えつく物も尽きてくる。

 

 昔、父が一人で暮らしていた頃は、独居中の父の元をそれぞれ娘達が独自に訪れて、父に贈り物を届けていた。

 

 個々に自由に贈るので、時には贈り物が被ってしまう事もあったな…

 

 あの頃は、用がなければ父の元を訪れる事はなく、贈り物を手渡す時が、数少ない父との面談の機会だったように思う。

 

 父が倒れて、要介護状態となり、私と暮らすようになってからは、父への贈り物は私の所に相談がやってくるようになった。

 

 重度の認知症になってしまった父には、欲しい物、食べたい物を問う事すらできなくなってしまったからだ。

 

 何を贈ろうかと問われた私は、その時、父の日常で必要な物をリクエストする。

 

 温かい靴下、綿100%の肌着、夏の肌掛け布団。

 

 季節的に市場にある時期なら良いが、今年リクエストした物は、薄手の長袖ポロシャツで、姉妹に伝えたのが、半袖が主流になった頃だったので、準備する方は少し大変だったみたい。

 

 ごめんねー!

 

 だけど…

 

 正直言って、日常的に介護している者は、誕生日です、クリスマスですと贈り物を考える余裕すらないのが実情なのである。

 

 仕事があり、家事があり、毎日の介護がある私には、父への贈り物は、贈る側ではなく、受け取る側専門になってしまった。

 

 でも私は、これはこれで仕方ないと割り切っている。

 

 例えば、在宅介護が難しく、大切な人を仕方なく施設に入所させたとして、日常的な介護を人に委ねるなら、その人の誕生日とか、結婚記念日とか、介護する者、される者の関係性にもよるが、所謂記念日というものは、日常的な介護を担っていない者の役割だと、私は思うからである。

 

 施設に入所している利用者の誕生日を、施設のスタッフで祝うという構図が、常識的に見受けられることもあるが、私はこれに反対派。

 

 天涯孤独で、誰も祝ってくれる人がいないのなら話は別だが、そうでないなら、せめて誕生日くらいは、嫌、本人の誕生日でなくても、家族が集まる機会として、時には施設に皆で訪ねてきてくれたらいいのにって、私は思う。

 

 毎日の生活が忙しくて、時間に余裕がないのもわかるけど、本来家族は共に暮らすものである。

 

 介護が重度になって、自分達で介護できないから施設に…それは仕方ないにしても、施設に入ったら今生の別れの様に、会う機会がだんだん減り、或いは完全に途絶え、施設に任せっきりという事も少なくはない。

 

 でも施設のスタッフは、所詮スタッフ。

  家族にはなり得ないのだ。

 

 共に暮らし、共に苦楽を味わってきた家族には、家族にしか分かり合えない思い出がある。歴史がある。

 

 家族としての時間が施設入所によって分断されないよう、家族も訪れやすい、家族交流しやすい環境を備えた施設を私は考案している。

 

 どうか実現しますように。