医療とは何だろう。

 

 ウィキペディアでは、人間の健康の維持や回復、増進を目的とした諸活動、即ち疾病に対する診断と治療を包括的に指す概念である、と書かれてある。

 

 昔、舌癌の母の闘病生活で、緩和ケア病棟にて終末期を迎えていた時も、医療と緩和ケアの本質について、考え込む日々を私は経験している。

 

 先日もあの時と同様に考え込む事例に出会った。

 

 医療とは何か、緩和ケアとは何か、今日はそんな話をしてみたいと思う。

 

 ウィキペディアで緩和ケアとは、生命を脅かす疾患による問題に直面している患者及びその家族のQOLを改善するアプローチであると説明されている。

 

 QOLとはクオリティオブライフの事で、生活の質というものである。

 

 生活の質とは、その患者や家族の価値観によって決まるものであり、医療従事者や周囲の介護者の価値観で決めるものではないと私は思う。

 

 癌であっても、とことん最期まで病と闘い、運命に抗いたいと思う人もいれば、手がないとわかり、素直に受け入れて、その時までの命を、時間を、哀愁と共に楽しめる人もいる。

 

 どちらが正解という事もなく、自分で決めた道ならば、どちらも正解なのだろう。

 

 しかし私が疑問に思う事は、その場面に直面した自分自身が正しい選択を行う為には、当然現状についての正しい理解が必要であり、全ての事例において常にそれが成されているのか?という事である。

 

 医療において、患者に何が起こっているのか、その情報を提供できるのは主治医以外にあり得ない。

 

 もし仮に、主治医が何の説明もしなければ、患者の家族は患者が何によって苦しんでいるのかさえもわからない。

 

 癌である患者が、癌による直接的な影響によって死に至ったのか、或いはそうではなく、他の疾患や偶発的な何かによって急変し、想定外に亡くなってしまったのか、それを知る権利は患者の家族に絶対的に存在し、主治医にはその説明を行う義務があると私は思う。

 

 医療の世界にはインフォームドコンセントという言葉があり、十分な情報を得た上での合意という意味がある。

 

 しかし、現場において、常にそれが成されているかは甚だ疑問である。

 

 懇切丁寧に説明して、患者や家族の理解を求めてくれる素晴らしい医師達も確かに存在するのだけれど、十分な説明もなく、医師の価値観によって治療や検査の方針が決められ、患者やその家族はただそれを受け入れるしかない、そんな事例も存在している。

 

 患者と家族の関係性によっては、命への執着もそれぞれであることは確かであるが、どんな事例であっても、その命に対する治療方針の選択をする者は、その患者やその家族であって、主治医ではないという事、医者が患者の命の終わりを決めるのではないという事。

 

 こんな事を言ったら、また医者を敵に回してしまうのかもしれないけど、真に高貴な医者であれば、私の言っている事が十分理解でき、賛同できるはずである。

 

 ご冥福を心よりお祈り申し上げます。