退院した時、父は表情も失い、言葉も失ってしまっていた。
発する声は、あ~とか、う~とかだけで、不快に対する感情表現しか出来ないようだった。
そんな父を退院後直接介護して、私はやはり入院による影響を強烈に感じざるを得なかった。
仕方がなかったとはいえ、ここまで認知機能が低下してしまっては、回復させるのは難しいかも知れない。
そう微かに感じながらも、これまで通りの生活を再開させたのだった。
特に気を付けたのはやはり食事の時の箸の持ち方である。
出来ないからと言って諦めるのではなく、毎日三度の食事で必ず箸を持たせ続けた。
手先の活動は脳の活動である。
握っていた箸をきちんと持てるようになった時、父は少しずつ言葉を取り戻すことが出来た。
言葉の回復と共に表情も戻ってきたのである。
勿論、健常者の様にいつも普通に会話できる訳ではない。
言葉になっていない事もある。
だけど、不快な感情をう~とかあ~とかという発声でしか表現できなかった時に比べて、寒い時に寒い、痛い時に痛いと言えることは、父にとっては目覚ましい変化と言えるだろう。
以前も述べたように、身体的機能を保つより認知機能を保つことの方が格段に難しい。
脳の中の変化は目には見えないからである。
父の場合は認知機能の低下が重度過ぎる故に、返ってその変化もわかりやすい。
父の認知機能は、元々日によっての変動があるタイプだったので、同じように介護提供していても、いい時悪い時はありはしたが、在宅生活の継続、箸を持っての食事の継続によって、父は日一日と認知機能を回復させ、顔には表情が戻り、瞳に命の輝きが戻り、感情に伴う言葉を取り戻した。
特記すべきは、退院からこの回復までに3週間程度しか時間を要していない点である。
在宅生活にも様々な暮らし方があるが、大切な事は朝起きて、朝を認識させること、夜になり夜を認識させること、その為の介護方法があるという事である。
デイサービスの終業時間まで、私と帰宅する為に居残りさせられる父は、終業時のミーティングに同席する事になる。
広いホールに10名程度、スタッフが一定の感覚で散らばって、その中に私も立って参加する。
父は何事かと思って周囲を見ていたが、その中から私を見つけ、私を指差し、
「あそこに和恵がおるわい」
と言った。
思わず私は拍手をし、スタッフ一同皆で笑った。
驚くことはもう一つ。
それは就寝時の時の事。
いつものように就寝着に着替えながらベッドへの移乗の為、一本足の父を立たせてベッドに移し、その後身体を横にさせていた時の事。
父が「可哀そうにな」と急に発したので、何が?と問うと、
「足がなかろがや」
と言いたのだった。
私が父の失った左足断端を撫でながら、ここ?と聞くと、
「ほうよ」と。
驚嘆と共に哀愁。
父は理解していた。
自分の身体が不自由になっている事。
そしてそれを嘆いている。
わかっている。
わかっているぞ、これはきっと。
自分で表現できないだけで、きっといろいろ解っているに違いない。
またひとつ、勉強させてもらいました。
お父さん、ありがとう。