さて、急性期総合病院の外科受診、歯科受診を終え、父は入院中の病院に戻り、私は手術日の連絡を待っていました。

 

 救急搬送される患者も受け入れる急性期総合病院ですから、父の胃瘻造設手術がそんなに早く予定してもらえるものではないという事は、重々予想していました。

 

 だけど、何とかせめて年内には決まって欲しいと願いながら、日一日と病院からの連絡を待っていた時の事です。

 

 この辺りではコロナの感染拡大も息を潜め、病院への家族面会制限も徐々に緩和されてきていました。

 

 平日午後なら予約もなく、自由に面会できるようになり、なかなか手術日が決まらない父に会う為に、入院中の病院を訪ねてみたのです。

 

 父は車椅子に座り、食堂ホールに居ました。

 

 これから病棟でのリハビリを行うという事で、見学させてもらう事にしたのです。

 

 しかし、病棟で会った父は、以前外来受診した時と比較して、何だか薄汚れているようで・・・

 

 服にも、食事介助時の失敗の痕跡があり、肌は乾燥して粉を拭いている。

 

 また、転倒予防、オムツいじり予防の為に、簡易的な抑制帯を使用されていました。

 

 私は抑制帯への同意書にも署名しているので、勿論これは私が承認した事ではあります。

 

 だけど私がその時思ったことは、入院前に日々受けていた毎日の介護が、どれだけありがたく、素晴らしい事であったかでした。

 

 自宅に居た頃は、毎朝毎晩、私がベッドサイドで更衣介助を行い、健常者と同じように、普段着と寝間着の区別がありました。

 

 汚れた服を何日も着続ける事はなく、デイサービスでは毎日入浴介助を受け、入浴後には部分ごとに何種類も出ている超乾燥肌の父に、細やかに薬剤を塗布して頂き、いつ見ても父は汚れていなかった。

 

 自分で自分の身なりを整える事が出来ない人に対して、介護を提供し、きちんと身なりを整えてあげる事は、介護の基本であり、その人の尊厳を守るという事だと私は思います。

 

 「尊厳を守る」

 

 この業界では良く耳にする言葉ですが、難しく捉える必要はなく、至極簡単な事だと私は思うのです。

 

 トイレに自力で行けない人に、トイレに行く為のあらゆる支援を施す、一人で入浴できない人に、入浴する為の支援を行う、それそのものが介護であり、尊厳を守ってるって事だと思うのです。

 

 人が人である以上、当然に持ち合わせている羞恥心や自尊心。

 

 出来ていた事が出来なくなった事への喪失感や寂寥感。

 

 そういった当たり前の感情を大切にして、思いやり、気遣い、言葉をかけ、介護を提供する。

 

 その全てが介護であり、尊厳を守るという事。

 

 日常生活の全てにおいて、自分で出来る事がもはや何一つない父にとって、その全てを介助する事は、提供する者にとっては本当に重労働です。

 

 入浴介助で浴室は蒸せるし、オムツ交換では匂いとの戦い。

 

 でもそうやって誰かが支援してくれるから、父が父で居られる。

 

 人らしく生きていける。

 

 介護って本当に素晴らしい!

 

 やらされるではなく、心からその人の為に支援する姿勢、そんな介護従事者達も、本当に素晴らしい!

 

 もっと貰えるべきだよね。

 

 私も経営頑張ります!