以前何となく見ていたテレビ番組で、マツコ・デラックス氏が、自分はテレビによく出るようになってから、ずっと彼氏を作っていないと、話されていた。
つまり仕事の成功と引き換えに個人的な幸せを諦めたという事だろう。
突然だけど、今日はこの考え方について話したい。
完全なる余談であるけれど。
人は弱い生き物だから、何か不幸があった時、自分の行いに関連付けて考える傾向がある。
こんなことになるなんて、私が一体何をした?ってやつだ。
とある心理学者は、不幸は目に見えるけれど、幸福は目に見えないと話していたっけ。
そう、本当にその通り。
だから人はいつも無くした時に気づくのだ。
私はこれまで、自分の身に起きた事を、自分のしている事に関連付けて考えていた。
母が亡くなり、本を書いた。
父が倒れてブログを書いている。
そしてそれら全てが、運命とか定めとか、こうなるような筋書きだったのだというように考えていた。
しかし最近、弊社の従業員にコロナの濃厚接触者が出て、それまでの考え方が間違っていたと、感じるようになった。
私が思うに、自分の人生が、どんな人生であるかは、何も決まっていないのだ。
人生における様々なアクシデントは、確かに自分で起こしたことではないけれど、きっと神様は、アクシデントを起こすまでが仕事で、その先どうなるかまでは決めていない。
人に試練を与え、それに対してどういう行動を取るかを見ているだけに過ぎないのだ。
大きな自然災害や、原発事故、教師による生徒への性暴力や人間による地球破壊、様々な出来事がある中で、それをどのように受け止め、どのように考えて行動するか、それを見ているのだと思う。
私個人の話をすれば、満70歳でこの世を去る母は、あまりにも早すぎだと思うし、父が脳出血で倒れて、一本足、重度の認知症になる事は、不幸極まりないと正直感じる。
しかし、その不幸を、ただ不幸だと感じて嘆き悲しむだけの日々を過ごすという道も、私にはあったように思う。
でも私は、母を早くに亡くした悲しみを書くということで気持ちを整理し、自分の様に大切な人を快適にお世話したいと思う人の為に、会社を作った。
父が倒れて、大変な介護が必要になった時も、事業者でありながら、同時に利用者家族の立場も理解できると、前向きにとらえた。
結局は自分の人生を、どんな人生にするかは、自分次第という事だ。
これまで、諦めていた事があった。
自分に与えられた人生は、ここまでだと、思い込んでいた。
だけどそうじゃない。
限界を決めるのは自分。
挑戦する前から諦めるなんて私らしくない。
これからも様々な災難は幾度となく降りかかってくるだろう。
でも大丈夫。
私は戦う。
自分が求めるものを手に入れる為に。
そしてそれによって、より多くの人が幸せになれる様に。
気付くって、実はとても重要な事。
気付かせてくれた人に心から感謝したいと思う。