父には今はもう、便意尿意すら訴えることはない。
一本足になって、脳出血による前頭葉破壊に伴う認知症であっても、依然はまだ尿意も便意も訴えることが出来ていた。
でもそれは随分初期の頃の話である。
身体機能を維持することの方が、認知機能を維持するよりもはるかに簡単だ。
父の身体機能は平成30年6月の脳出血以後、左足を切断して車椅子生活となった当初から、殆ど状態が変化していない。
それに比べて認知機能は、入院する毎にいつも何かを喪失していった。
出来ていた事が出来なくなって退院する。
医療を受けると自宅同様の介護提供が困難な為、どうしてもこうなってしまう。
だからこそ、私は毎日細やかに気を配り、父の体調が安定するように努めてきた。
以前の父は尿意を訴える時、ちゃんと言葉で伝えることが出来ていた。
自宅に居る時、私一人でのトイレ介助が大変だったけど、父の協力と自分の介護力だけで父をトイレに移乗させていたっけ。
あの頃が懐かしい。
今はもう父が以前の様に尿意を訴えることはなく、いつも知らぬ間に尿取りパットに沢山出ている。
だから今、父を排尿の為にトイレ移乗させることは無くなった。
便意はどうか。
父は以前、便意も上手く伝えることが出来ていた。
トイレに行きたいのだと私に訴えていたっけ。
つまりその頃は、自分が感じている事が便意だと理解でき、その為にトイレに行く必要がある事が理解でき、選択する言葉も発する言葉もトイレと伝えることが出来ていたのだ。
これが出来なくなると、どうなるか。
父は便意を感じると、そわそわし始めるようになった。
食事中でも、車椅子上でも、いつ何時であろうと、便意を感じたならとにかくソワソワする。
車椅子から身体を前に乗り出してみたり、言葉にならない声を発してみたり。
その時の父は、自分が感じている事が、便意だとわかっているのかわからないのかは定かでないが、トイレだとか便意だとか、少なくともその言葉を使うことは出来なくなっている。
しかしこれも少し前の状態で、今の父はそわそわすることもなく、知らぬ間にオムツ内に排便し、周囲が気付かないでいると、不快だからだろうと思うが、手を入れて便を触ってしまうし、その手で周囲を汚してしまう。
父が排便する度にその様な問題行為をされたなら、介護する方もたまったものではない。
だからその場合の対策として、排便をコントロールするという手法を取る。
施設では安易に抑制する(手を縛る等)ことも昔は行われていたが、本人がしたい事を抑制すると大声を出して抵抗する。
当然だけど。
だからこの場合、抑制するのではなく、排便の方をコントロールして、毎日決まった時間に排便するよう仕向けたり、それでも排便できない時はトイレに行って、排便誘発を試みる。
ま、最後は敵便なんですけど。
肛門刺激程度で出せるのが理想なんですけどね。
そうやって、こんな父とも一緒に暮らしているという訳です。