その人に出会った時、もう既に立てなくなっていた。

 

 余命宣告も、半年と医師から告げられていた。

 

 わかっている。

 

 手の施しようがないから、いつかは尽きる命だということは。

 

 だけど、その命尽きる瞬間までの道のりには幾通りものプロセスがあったように思う。

 

 出会った時に、即日区分変更が必要な状況って、どうなんだろう?

 

 出会ってから、2週間も経たぬうちに旅立たれた。

 

 ご本人様は、自ら病院へ電話していた。

 

 この辛い状況を何とかして欲しいと、SOSを発信していた。

 

 家族が介護しても動かすことも出来なくなって、お風呂に入りたいからと、初めて出会った訳だけど、私は家族に早急なる医療の必要性を進言した。

 

 家族も病院に連絡したのだ。

 

 でも、来ても何もする事がないってどういう事?

 

 コロナ患者の治療で人手不足で大変だから?

 

 ジタクデシネトイウコトデスカ?

 

 死が迫ってくる恐怖を感じていたかはわからない。

 

 そこまで理解できていなかったかも知れない。

 

 けど、ただ、怖かったんだと思う。

 不安だったんだと思う。

 

 自分の身体に起こる異変が。

 いろんなことが急速に出来なくなっていく状況が。

 

 夜一人で居るのが不安だと話していた。

 

 

 包括は亡くなる2カ月以上前に基本情報をまとめている。

 

 でも何故それからこちらに繋がるまでに2カ月かかります?

 

 家族も本人も、窓口に駆け込んだのに、なかなか状況が好転しない事にやきもきしていたに違いない。

 

 その人を見れば、支援認定か、介護認定か、ある程度予測は出来る。

 

 病状について、今ある情報を得ていたなら、何らかの支援を急ぐ必要がある事は容易に予測出来たじゃないか。

 

 何故?

 何故?

 何故?

 

 何故にその人はこんなにも早く旅立たねばならなかったのですか?

 

 例え半年の命であっても、その半年間、十分な医療と、快適な生活が得られておれば、本人も、家族も、随分満たされた気持ちでその日を迎えられただろう。

 

 

 わかって欲しい。

 気付いて欲しい。

 

 

 私はここに居ます!

 

 

 困っているなら、問題が解決しないなら、どうぞ頼って連絡を入れてください。

 

 貴方がいるその場所が、例え病院であったとしても、退院が決まって、自宅での生活に不安があるなら、受話器を取って、私に連絡して。

 

 まず出会おう。

 

 それから相談しよう。

 

 貴方の知らない事、私で分かる事、いろいろ沢山教えてあげられる。

 

 知らないという事は不利益。

 知った上で選択しない事は個性。

 

 

 初見から、明らかに介護認定とわかる人に対して、包括が代行申請する意味ある?

 

 私達は、利用者や家族の利益を重視して、暫定ブランで生活の問題を早期に解決しようと策を練る。

 

 3年前から、病院へ理解を求めても、包括に連絡する決まりだからと、余命宣告されている人であっても申請は包括。

 

 包括が担当できるのは支援認定の人だけだから、代行申請した人と担当するケアマネは変更になる。

 

 そこに明らかなる時間のロスがあるのに、何故にこんなシステムになっているの?

 

 答えは簡単。

 

 そこに人間故の私利私欲が渦巻いているからだよ。