先日の父の現状報告会で、退院の日程を決める話にもなった。

 

 認知症状のコントロールを行う内服薬の調整が取りあえず完了したので、後はもう病院に居なければならない理由がない訳である。

 

 父が帰ってくる。

 

 正直複雑であることは否めない。

 

 父が入院中だった約2カ月、私の負担は格段に減っていた。自分の事だけ、と言っても家庭内での役割もあるにはあるが、それでも父の介護がすっぽりなくなるというのは、なんて楽な生活なんだろう。朝も夜も、時間のかかる事がすっかり消え去った生活だった。

 

 テレビも気兼ねなく音量調節できるし、録画を見る時間にも配慮がいらない。2階の物音に敏感な父の為、静かに暮らすことを強いられた子供達も、その実感はひしひしと感じていて、おじいちゃんがいないって、超楽やね!と嬉しげに話す。

 

 そんな我が子に父が帰ってくると告げなければならないこの身の辛さ。子供達の反応が気にかかる。

 

 それでも父の介護を誰かはしなければならないし、その介護者が誰であるかで父の余命は左右される。

 

 紛れもなく親子であった私の記憶が、父に再び会える喜びと、離れていた事、会えなかった事での愛しさを感じさせる一方で、父の孫にあたる娘達から煙たがられる父を哀れにも思う。

 

 そしてそれが自分の父で在る事にも切なさを感じる。

 

 父は私の事を覚えているだろうか。

 

 退院して自宅に戻った時、その環境を覚えているだろうか。

 

 再びデイサービスやショートステイを利用しながらの生活に馴染んでくれるだろうか。

 

 不安は尽きない。

 

 入院していた病院では、面会に対する緩和措置が取られ、平日の午後であれば予約制で会える事になっていた。早々にも予約をして父に早く会いたいと思ったが、平日の午後のみを設定されては、時間の都合がつかず、退院も決まった事であるし、面会する事を諦めるしかなかった。

 

 これまで、入院する度に認知機能を低下させて帰った来た父であるが、今回の入院はその認知症状をコントロールする為の入院。日常生活動作についても、入院前とは変わらず、口腔ケアの時にも含んだ水を吐き出すことが出来るとか。

 

 良かった。

 今回の入院で担当してくれた看護師さん、頑張ってくれたのだ。

 

 入院生活で、父の日常生活動作を維持できるとは、並々ならぬ努力があってこそと推測する。人は弱い生き物だから、誰しも楽な方へと流れてしまいがち。父のように日常生活の全てに介護が必要であれば、ベッド上で寝かせておくのが一番楽なのである。

 

 しかしそれでは父の認知機能は急速に低下し、嚥下機能も低下。誤嚥性肺炎を起こして命は尽きる。

 

 父のようになってからでもその暮らし方が命を左右する。

 

 健康寿命を延ばしたければ、それこそ暮らし方が鍵である。

 

 入院中は、使命感を持って頑張ってくれた担当看護師さん、病棟スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。

 

 次は私の出番です。

 

 また毎日の介護生活に覚悟を持って挑みたいと思います!