利用していたショートから受け入れ拒否の連絡を受けた時、私は「令和3年1年間分の週末利用の予約を入れていたのに、一方的に拒否されたのではこちらも困窮してしまう。別の所と言っても週末はなかなか予約が取れないというのが現状だ」と一方的且つ急な受け入れ拒否に対する苦情を申し入れた。
しかし、施設側は受け入れ拒否の姿勢を崩さず、
然るべき所に相談もしている、今回の拒否については何ら問題ない
との主張だった。施設側が言う然るべき所とやらに私も連絡し、事の次第を確認した。そこでの回答は、話し合いの余地があるのではないかという事であったし、事の全てを説明していた訳でもなかった。
施設側がした事は、ただ単に、受け入れを拒否する事への承認誘致の為の連絡でしかなかったのだ。私はますます許せないと思った。自分達のしていることを正当化する為に、介護職員の被害だけを話していたし、被害を受けた時介護スタッフが一人であったことや、利用者本人が事の事情を説明できる認知レベルでもない事、これまでの約2年間の利用中には同様な問題行動はなかった事等、何も説明していなかったのだ。
私はとにかく話し合いの場を持とうと、主治医の協力を得て、施設側との話し合いの場を持った。主治医から、
状況的に診て、父のような重度の認知症患者が声を上げたり介護抵抗したりしやすい状況だった事や、内服に関しても年末に調整した効果が表れつつあるし、更なる調整も可能であること
も説明してもらった。しかし、予想通り、施設側の回答は覆る事はなく、一貫しての受け入れ拒否であった。
わかっていた。
例え話し合いをした所で彼らが方針を変える事などない事は。
今にして思えば、年末に掛かってきた電話は予告だったのだ。恐らくあの時点で彼らは受け入れを断ることを決めていたに違いない。だからあのような、何が言いたいのかよくわからない内容の電話になったのだろう。
今思えばこれまでのやり取りの中で、全てのピースが埋まって、彼らがしたかった事の全容が見えた気分だ。
父の介護は本当に大変だ。
朝は7時におはようと声をかけ、一晩中の排尿で満たされたオムツを交換。ズボンと靴下をはかせたら、唯一の右足が伸び切るように膝関節の伸展運動。両股関節の外旋運動。ベッド上端坐位を取らせて上半身の更衣。車椅子に移乗して髭剃り等の洗面介助、入歯を装着して食事介助を行い、その後は歯磨きの介助。
朝のケアだけでも裕に1時間30分はかかる。
父の介護が大変で嫌になっていた事は施設側も認めていた。だからもう受け入出来ないと言えるようになる為のきっかけを待っていたんだろう。
でもさ、どれだけ大変だったとしても、週末だけでしょ?
私は平日毎朝毎晩やっているのに。
週末ショート利用を終えて帰ってきた時の父を見れば、その日どのように過ごしたか、大体わかるよ。
父の場合、起床時に着替えた服は一日の終わりには必ず汚れているのでね。よだれや食べこぼしなど多いから。
だけど、日曜日に父を就寝着に着替えさせる時、父の衣服は今着たかの様にいつも綺麗だった。
帰宅する日に入浴すると言っていたので、朝は更衣せず、入浴後に帰宅日の日中着に着替えていたのかもしれない。
でもその事を私は黙認していた。問う事もなく受け入れていた。
人に預ける以上、自分と同じように出来ない事に文句は言えないと思っていたから。
でもね、まさかこんな形で断ってくるとは、びっくりです。
私、これまで何万円と毎月欠かさず支払ってきたよね?
支払いを滞らせたこともないよね?
現場スタッフにはこれまでお中元お歳暮も送ってきたよね?
それでも断るんだ。
本当にその施設、法人のコンセプト、資質を疑うよ。
これはね、弱い者虐めと一緒なの。
虐められている人を見て見ぬふりしている人と同じなの。
大変な人を見捨てるんだからさ。
ショートが必要な人に、ショートが受け入れを断ったら、その人はどうなるの?
別の所に行け?
別の所も貴殿方がしたように断ったら?
事例を作ればマネする所が必ず出てくるよ。
皆が断って、何処も受け入れしなかったら、私は毎週末も介護に追われて疲れ果て、いつかは虐待するだろうね。
子育てでも、介護でも、虐待する人が全部悪い訳ではないと私は思います。
虐待する人は、その人の資質に問題がある場合も確かにありはするけれど、その多くは、正しく支援する人に恵まれなかっただけ。
私は弱い者虐めが大嫌い。
弱い奴らが大嫌い。
弱いとは心の弱さだ。
何かが上手く出来ない事や未熟である事が弱さではない。
寧ろそんな自分を真っ向から受け入れる事が出来ればそれは強さだと言える。
私は幼い頃から気が強く、思い立ってから行動に移すまでもスピーディー。
自分が強くなければ弱い者を守れない。
真の優しさとは強さだと私は信じて生きている。