初めて父と過ごす週末。

 

 それは正にマンツーマンの介護。

 

 普段ショートステイに預ける時間になってからも、オムツ交換や2時間毎の立位訓練。適宜水分補給もせねばならず、隙間の僅かな時間で出来る事等何もない。

 

 それでも通常の家事は熟さねばならず、また予定に入れている仕事も同様である。

 

 認知症の周辺症状を緩和させる為に父には毎日排便してもらうのだが、それは時に敵便が必要な事もある。ベッド上で行うよりは、トイレに座ってする方が効果的なのだが、一人介助の自宅ではさてどうしたものかと思案していた矢先、父から便臭がして、その日はベッドに移乗してのオムツ交換となった。

 

 それも一人で行うのはなかなか大変で、気持ち悪いからと手が伸びるその手を抑え、寒いからと足を曲げるその足を抑え、手も足も便が触れないように注意しながらのオムツ交換。

 

 必要なものは全部手の届く範囲に準備してからの開始だとしても、私あと2本手が必要かも。

 

 私のやらねばならない事が、父の世話だけで良ければ、マンツーマンの介護提供をしていてもさほど生活に支障はないが、そうではないから大変なのである。

 

 介護を仕事としている人は、仕事=介護なのだから、生活と介護を同時進行することはない。しかし、家族に要介護者が居て、仕事もしなければならない、家事もしなければならない、子育てもその上に介護もとなると、介護提供する者は本当に大変で、そんな家族介護を支援する為に、介護保険法は生まれたのである。

 

 いつ便が出て、あるいは尿が出て、それを触って周囲を汚染させるかもわからない父を連れては、買い物に行く事も出来ず、ゆっくり食事を調理することも出来ない。

 

 施設ならば介護職員とは別に調理スタッフが居て、それぞれに役割を分担している。

 

 タイミング良く適温の食事が出てくるので、食事をする時間になれば父は直ぐに食べる事が出来る。

 

 自宅であれば調理してすぐのものは熱くて食べにくく、冷ますまでの時間、父は待てない。

 

 前頭葉が壊れていると抑制が効かないので、空腹を我慢することは出来ない。

 

 そんな時は必ず何か声を上げて父は空腹を訴えている。

 

 空腹以外であっても、何か不快な事がある時、それを正確に伝える事が出来ない父は、言葉にならない言葉で声を上げる。

 

 普段から介護している者であっても、その時何が不快で父が発声しているのか、それを推理することは難しい。

 

 だから、父には毎日同じ生活リズムで同じ介護提供で反応を観察する必要があるのだ。こちらが提供する生活や介護等、何かが違うと、父の訴えたいことも見えにくくなってしまうからである。

 

 さて、コロナの為に利用できなかったショートステイから営業再開の連絡が来た。しかし、その電話でショートステイの所長は、営業は再開するが、父の今後の利用受け入れをお断りすると無残に言い放ったのであった。