それは目覚ましい進歩だった。

 

 呼吸停止、痙攣付きの癲癇発作によって救急搬送、緊急入院となった父は、その時、開いた口が硬直したように固定され、口を閉じる事も出来なかったし、数日たって、食事が始まっても自分で食べる事等到底出来なかった。ベッドの上で出来る範囲だけの関節を動かす程度のリハビリをし、ベッドの背上げ機能を使って座位を取らせて、尚且つ背中に枕を挿入して、前傾姿勢を創り、スプーンで食事を食べさせてもらわなければ、食事すらできなかったのだ。

 

 それなのに、それなのにである。

 

 回復期病棟でお世話になってひと月。ゼリー食だった父の食事形態は少しずつ固形に近づいていた。

 

 2か月。父はスプーンを口に運ぶ動作が出来るまでに回復していた。しかし、この時点ではまだスプーンの柄の方が口に行ってしまう事があった。

 

 3カ月。食事形態は軟飯軟菜刻みにまで回復し、更には箸を使い始めていた。

 

 脳の覚醒状態も、細やかな薬の調整によって、日中の覚醒状態は目覚ましく良くなっていた。様々なリハビリ、特に食事を食べるという事の進歩を見ればお分かりであろう。ここまで回復する為には脳の覚醒状態は良好でなければままならない。脳の覚醒状態が良好という事は、食事のみならず、その他のリハビリも捗る訳で。

 

 自分で立つことが出来なくても、介助があれば立位が取れていた父なのに、入院後は全く立つことは出来ず、車椅子移乗の時は二人掛りで身体を抱え、完全に移送しなければ車椅子に乗ることさえ出来なかった。

 

 しかし、こちらも目覚ましく回復。

 

 リハビリによって、関節は柔らかくなり、落ちた筋肉も若干戻って来ていた。そして、介助があれば立位が取れるようになっていた。

 

 もしも、もっとこの病棟に居ることが出来たなら、父はもっと以前の父のように回復したかもしれない。専門職が日に何度もリハビリを行ってくれる、夢のよう場所である。

 

 しかし、悲しいかな、医療制度にもいろいろと制約があって、父の場合のタイムリミットは4カ月だった。

 

 この期間でどこまで回復できるかによって、退院後の生活が決まってくる。私は最悪、父の車椅子移乗が私一人ではできない程、介護に力が必要であれば、移乗用のリフトをレンタルしようと考えていた。

 

 狭い部屋にリフトを置くのはなかなか困難ではあるが、そう若くないこの年で、父を一人で担ぎ上げる力はなく、かと言って、施設に入れたり、ベッド上の生活を強いる事も出来なかった。そんなことをすれば父が今以上に認知機能が低下するという事が明確であったし、離床生活における日常生活動作の繰り返しこそが認知症介護の真髄であると私が信じてやまないからである。

 

 移乗用リフトの単位数、どれくらいだったかな~なんて考えながら、何とか軽介助での立位が出来るようになりますように、そう願う毎日だった。