今思えば、私の人生は、背伸びの連続でした。せめて人並みに…という想いで就職・転職を繰り返し、住宅ローンを抱え、新車を購入し、子どもたちも少しずつ大きくなってきて……という矢先にがんに罹患しました。

もともと、甲斐性はあまりなく、自分のやりたいことだけできていれば満足だった20代を過ごしていたので、人並みになろうとしてからは理想とのギャップに苦しむことも多かったです。

周囲と自分を比べたり、世の中の平均と自分を比べたり……

健康だけが取り柄でしたが、それでも正直生きていくのがしんどいこともありました。現状を維持するだけで精一杯な時期もありました。

この連載を読んでくださっている健常者の方々も皆さん必死に生きていらっしゃるのではないでしょうか。

その状況に加えての「がん罹患」なのです。苦しみが置き換わるわけではなく、さらに乗っかってくるのです。普通に考えて、キツいです。

だから、私たち罹患者は、それでもなんとか生きていくために、必死にもがいています。その生きていくための手段の一つが、「キャンサーギフト」という考え方なのです。

悲嘆や死別、グリーフケアを研究されている関西学院大学の坂口幸弘教授も、著書『喪失学 「ロス後」をどう生きるか?』の中でこうおっしゃっています。

「肯定的な側面に目を向けることは、その出来事自体を肯定するわけでは決してない。肯定的な側面があろうがなかろうが、当事者にとってつらい出来事であることに変わりはない。肯定的な側面を見つけようとすることは、耐えがたい喪失の苦しみを、少しでも耐えられるようにするための新たな視点を生み出すことである。つまり、絶望の暗闇のなかに、『せめてもの救い』となるような光を探し求めることであるといえる」

【出典:『喪失学 「ロス後」をどう生きるか?』(坂口幸弘著、光文社新書)】

当時の私にしてみても、やはり「そうでも思わなければやってられない」という感じでした。

「がんを経験したからこそ、普通の有り難みを感じられるようになった」
「同じがん罹患経験者の仲間との出会いがあった」
「普通に生きていたらできなかった生き方ができている」

など、キャンサーギフト体験はともすると、ポジティブな部分だけに目が行きがちです。しかし、だからといって、がんになりたくてなった方はいません。結果として、そう思わなければやっていけないくらいしんどい状況である方が少なくないという事実は、健常者の方々にはぜひ知っておいていただけたらと思います。

(続く)