こんにちは、がんチャレンジャーの花木裕介です。

ここまでがん告知前後の出来事をまとめてきましたが、今回が自分にとってのハイライトです。

もし、ここ(確定診断)を乗り越えられなかったら、皆様にこのような発信はできていなかったかもしれません。

◆ ◆ ◆

◆2017年12月4日(月)◆
治療方針というか、予約などの進め方で、妻と少し意識のギャップが生まれる。

結果として、家から近いところがいいのは間違いない。でも、まだ確定診断も出ていなければ、主治医から方針も聞かされていない中で、勇み足は避けたい。

そういうことを、できるだけスピーディーに、かつ慎重に一つずつ進めているので、いきなり違う進め方(それが結果として最速の手段だとしても)には抵抗をしてしまうのかもしれない。

妻の気持ちは分かるし、ありがたいだけに、伝え方やらは難しいのだけど。

病気って、治療などそのものの問題だけでなく、こうした人間関係やら考え方のギャップがどうしても出てきて、なかなか難しいもんなんだな。

妻も、周りの協力を得ながら頑張って最善を尽くしてくれている。きっと精神的にもいっぱいいっぱいだろう。それが分かるだけに余計に辛い。


◆12月5日(火)◆
いよいよ確定診断の日。遠隔転移はあるのか。まさかの余命宣告をされてしまうのか。

俳優の村野武範さんは、2年前、僕と同じ咽頭がんで、しかも診断時は余命幾ばくかと言われたという。

結果的には、先進医療の「陽子線治療」という方法を用いて、奇跡の復活をされ、今も元気でいらっしゃるそうだが、自分も最悪その診断結果を突きつけられるかもしれないのだ。

最悪の事態は想定しつつも、そうならないよう祈るばかり。

前日は、用意していた睡眠剤を初めて飲んだ。眠りは問題ない。

午前中に新宿で業務も行い(普段は上野)、気分転換にもなった。

今は、14時16分。あと1時間ちょっと。

すでに体にあるものが何か、その事実を知らされるだけ。気づくのが遅ければもっと大変になるのだから、悪いことは何もないはずなのに、「知りたくない」という相反する想いも拭えない。

こんなことが、あと何年も続くのかと思うと、今から辟易する。

でも、仕方がない。事実から目をそらさず、前を向くしかない。

転移、どうかありませんように……。





1時間後…。






命拾いした。遠隔転移はなかった…。ステージ3は叶わなかったが、頸部転移2個でなんとか食い止めることができた(診断は、ステージ4の軽い方)。

診察のときは、PCの画面を見られないくらいビクビクしていた。先生の歯切れの悪さが、最悪のケースを予想させた。

遠隔転移、ステージ4(の悪い方)、末期、余命宣告という最悪の展開を想像していたので、それを考えれば、まだ余裕のある内容だ。(診察室を出て、付き添ってくれた妻にそのことを伝えたら、こらえていたものが溢れてしまい、申し訳ないことをした…)

これなら、抗がん剤と放射線の治療の組み合わせで恐らく治せるのではないかとのこと(もちろん病院の先生なので、「絶対」とは言ってくれない。言ってほしいけど)。

実家の母にも即連絡を入れた。事前に一度電話で、「どうやらガンになってしまったらしい」ということは伝えていた。

距離的に遠いので、詳細は電話かメールで報告することにしていたが、やはり母の一番の気がかりも遠隔転移だった。

ステージ4という響きにはやはり落ち込んでいたものの、最悪のストーリーを回避できたことで、ひと安心。


帰り際、妻と喫茶店に入り、スイーツで乾杯。




また、この日は奇しくも付き合い始めた記念日ということで、クリスマスも近いことから、急遽その足でプレゼントを買いに行った。

迷惑かけてるし、これからもそうなるし、ということで、少しでも妻が元気になればと。

店から流れてくるクリスマスソングと、子どものいない二人での空間。

今日から「ステージ4のがん患者」になってしまったが、少しばかり人並みの幸せを感じることができた一日だった。


◆12月6日(水)◆
会社で、上司や経営陣に対して確定診断の報告と、メンバーに対して引き継ぎの本格実施、セカンドオピニオン担当の方への手配依頼(自社サービスを福利厚生で使える)と、人事担当の方との休職申請、その上、通常の業務と慌ただしい一日だった。

それでも、転移の不安が和らいだ分、気持ち的にはかなり楽だったし、久しぶりにちょっと残業もした。

明日はいよいよ休職前最終日だ。最後までやりきるのが自分のスタイルだとするなら、明日も一日最後まで頑張ろうと思う。

体は大事だけど、それと同じくらい、これまでやってきたことも大事。


◆12月7日(木)◆
仕事に一区切りをつけ、明日から休職(厳密には、明日はがん治療休暇)に入る。

幸い、医療系の職場ということもあり、情報は豊富かつ、治療と就労の両立支援サポートも充実していて、大勢の人から「早期復帰を!」と声かけてもらった。

こうした安心感のある環境に、どれほど助けられたことか。

とあるデータによると、就労期間中にがんになる人は、今や3人に1人いるというのに、その中で「がん宣告=退職」という判断をしてしまう人が、なんと4割ほどもいるそうだ。

でも、職場に支援体制があり、本人ができるだけ冷静に判断すれば、そういった損失は未然に防げる。自分がそういうモデルになれればとも思う。

最後には、全社向けに病名を公表し、一旦は休職に入る。

事前に個別に伝えていなかった人は、もしかしたら少なからずショックを受けたかもしれないが、数百人の社員一人一人に個別に連絡するだけの時間が僕には残されていなかった。

でも、悪いことをしているわけではないし、オープンにして、堂々と治療に入りたかった(その考えは、フェイスブック、ブログで公表した今も変わらない)。

それにしても、待っててくれる人がいる職場があるというのは本当に有り難い。それがモチベーションとなり、治療に取り組むことができる。逆に、先行きが不透明だったらどうだろう。自暴自棄になってしまうかもしれない。

自分は恵まれていたんだな。病気になってみて改めて感じた。

この日の翌日、一つ目のセカンドオピニオンを受けてきた後、本ブログを開設し、今に至る。

※この約一ヶ月でお世話になった医療機関の診察券……。