こんにちは、がんチャレンジャーの花木裕介です。

あることに取り組んでいると、その関連することをどんどん引き寄せるというのは、本当かもしれません。

最近僕は、禅的な考え方を学び、少しずつ実践するようにしているのですが、そのことを知らなかった知人が贈ってくれたのが以下の書籍です。

お坊さんにならう こころが調う 朝・昼・夜の習慣』(ディスカヴァー刊、平井正修著)


あまりにも出来すぎた話で、感謝とともに、驚いてしまいました笑。

中曽根元首相らも参禅するお寺の住職さんによる、心身が少し軽くなる「禅の智慧」ということで、早速僕が勉強になった箇所を抜き出してみます。


・他人のものであっても、乱れているものを見たら、何も考えずに直しなさい、ということです。見たら直す、ただそれだけです。

実際に掃除をするときには、きれいにしようとか、汚れているからとか、自分のものだとか、他人のものだとかは考えずに、ただひたすら目の前のものの掃除をするのです。

何事においても、そのとき自分がやっていることと、ただ一つになる。すると、結果的に「心配り」が生まれるのです。

・一日を振り返ったときに、「がんばっているのに、報われないな」と感じる日があるかもしれません。

しかし、それがふつうです。すべてのことは「労して功なし」なのです。何をするときにでもです。

もちろん、「労して功なし」だから、いいかげんに手を抜くということではありません。そもそも何も求めないということです。

見返りや感謝を求めるのではなく、ただその瞬間、その瞬間で、自分のやるべきことだけを無心にやる。それに集中するということです。

その気持ちこそが、仏教や禅の考え方の前提です。

・よく「自利利他」といいますが、その意味は、「まず、自分のため。そして、それが同時に、人のためにもなる」ということです。

修行の精神は、まさに「自利利他」です。私はそれがいちばんいいと思っていますし、仕事も本来はそういうものだと思います。

したがって、わざわざ「何かのため」という「目標」や「夢」といった理屈をつけなくても、最初は自分のためになることをすればいいと思うのです。

本当に、自分のためになるようなことをやっていけば、それがそのまま会社のためになり、社会のために、そして家族のためになっていくでしょう。

・秘書経験のある経営者がけっこういるということは、結局、自分を捨てて、他人の目で物を見るというトレーニングが、トップに立つための役に立っているということなのでしょう。
それはまさに、お釈迦さまの真似をし続けている、私たち僧侶の修行ともよく似ているのではないでしょうか。

【出典:『お坊さんにならう こころが調う 朝・昼・夜の習慣』(ディスカヴァー刊、平井正修著)】


いかがでしょうか。

回復したら、禅寺に坐禅を組みに行きたいなーと本気で思い始めており、そんな禅寺での修行僧の様子も垣間見える書籍で、とても勉強になりました。

入院という名の修行もこれで一段落しましたが、「〜しながら」の癖がだいぶ抜けてきました!

▼本書含め、入院中に贈ってもらった書籍たち

(了)