巷には、乳幼児を対象に

IQやEQを上げることを目的に謳った教室がたくさんあります。

 

3歳までにIQ140達成!とか

そういう感じのものです。

 

私も子どもの英語習得や学習を支援するにあたって

IQや脳機能の改善について知識を持っておくことは

子どもを包括的に理解する上で大切なことだと考えていますが

 

先に触れたようなキャッチフレーズを見ると

子どもの存在をとても浅く捉えているというか

それを教育の目的にするのは本質とずれている気がして

違和感を覚えます。

 

そもそもなぜ人には教育が必要なのか、

逆に言えば、なぜ人は教育を求めるのか

 

みなさんはどう考えているでしょうか

 

私が自分の子どもだけでなく、

ハナハウスに通う子どもたち

ひいては日本で育つ全ての子どもたちに

 

英語が話せるようになって欲しいと願ったり

しっかりとした基礎学力を身につけて、

その後の高等教育で存分に知的活動を楽しめる力を得てほしいと願うのは

とても単純な理由です。

 

人はできることが増えると、

生きることが楽になる、と思うからです。

楽になり、その分楽しくなります。

 

ハナハウスを経営している理由は

幼い頃から英語に触れておけば

その先の成長過程において、あるいは学習過程において

できることが何倍にも増えていくからです。

 

少し多動気味で座れない子どもがいたとして

「それがその子の個性だから」と何もせずにいれば

その子は小学校に上がってから座ることに苦労し

その結果授業についていかなくなり

「できない」ことが増えていってしまいます。

苦手になればなるほど、勉強はもっと苦痛を伴うようになる。

 

例えば座ることが苦手なら

あるいは文字の読み書きが苦手なら

気がついた段階で適切なトレーニングをすれば

「できない」が1つ減り、「できる」が1つ増えます。

 

私たち大人でも「やりたくないな」と無意識に感じたり

後回しにしてしまう仕事というのは得てして

自分が得意としない要素を含んでいるか

あるいは経験が足りず先の見通しが立たないような場合です。

 

子どもは特に「見通しが立たない」状況におかれると

大変なストレスを感じる生き物です。

分からないから嫌がり、逃げます。

 

ですから見通しが立つようになるために

適切なトレーニングであったり、環境の工夫であったり

学習が必要になります。

 

どうして勉強しなければならないの?

どうして学校に行かなければならないの?

ということをテーマにした本がいくつかありますが

 

答えは簡単です。

 

できることが増えると、生きるのが楽になるから。

 

そして、知識が増えると世界が見えるようになり

また自分自身さえ俯瞰できるようになる。

自分を俯瞰できるようになって初めて

私たちはもっと高いステージで心が開放されていくものです。

 

IQを上げることが目的なのではなく

IQが上がると、情報処理が早くなり、効率良く学習できるようになる。

 

私たち大人は、ただやらせるだけ、ただ与えるだけでなく

「その結果何ができるようになるのか」を常に考えて、

子どもたちに接したいものです。