月曜の夕方は大学院の日で、

14時まで仕事をしてから所沢に向かい

5時間のゼミを終えて戻ります。


23時過ぎに帰宅してドアを開けると

今宵も、そこにあるのは長女の背中



受験が終わり、1年が経ちますが

来る日も来る日も、

来る日も来る日も、


リビングにあるのは長女の背中。


「何度も死にたいと思った」


そんな中学受験を通して、

私たちが得たものは何だったのだろう。

どれほどのものを引き換えにしたのだろう。


去年は葛藤の日々でした。



先日大学の講義で、

アイデンティティの確立と困難さ

そこから生まれる心の病についてのお話がありました


自我を確立するために必要な要素として


1つは危機的体験と

1つは、自分の人生へのコミットメント


がある、と聞いたところで


ああ、そうだ、

私が娘に与えたかったのは唯一それだけだった


自分が何者で、どう生きたいか

それを自分の足で立ち考えられる人になってほしい。


だから、たった一人で  

学校を出るようなことをさせたのだったのだ。

だから、中学受験を選んだのだ。


そんなことをスコンと思い出しました。



来る日来る日も

机に向かう娘を見ていると、


勉強以外のきらきらしたものを全て

彼女の人生から奪ってしまったのではないか

そんな自責の念に苛まれていました。


でも、


自分は何を美しいと思い、

どんな未来を生きたいのか

だから、今何をすべきなのか

はっきりとした意思表示と共に机に向かう娘は


私の14歳の頃のアイデンティティとは

まるで別のステージにいます。


いい加減勉強やめなさい、


そう叱られて、

今宵も真夜中に布団に潜ります。