しばらくの間公言せずにいたのですが、少し前に、新しい命を授かりました。


花の時もそうだったのですが、妊娠5週目から強いつわりがはじまり、


それから1カ月が過ぎ、ようやく昨晩から吐き気がおさまり、立って家事ができるようになりました。



ハナハウスの生徒さんやスタッフを見渡すと、「つわりがなかった」あるいは「とても軽かった」


という人がほとんどで、その事実にとても驚きました。



今回は2回目だったので、1回目よりか(多少)ましでしたが、


私の場合は、1カ月の間、まともに立って歩くことができなくなります。




割れるような頭痛と、地球が回っているようなめまい、それに常時の嘔吐が


24時間、寝ても覚めても続きます。さらに動悸が激しくなり呼吸困難を起します。



ピークの時には、苦しさのあまり眠ることができなくなります。


声を出すことも、頭を動かすこともできないほど、たとえようのない苦痛です。



つわりに効く薬はなく(一応病院から漢方を処方されますがあまり効果はありません)、


ただひたすら、日がたつのを一生懸命堪えるしかありません。


はじめの2週間は「これはつわりではない。つわりに負けたくない!」と強い気持ちで臨みますが、


こういう状態が1カ月以上続くと、最後の方は正気を失いかけます。



ちょうど先週、ハナハウスがオフの時にピークがきました。


ちょうど仕事がない分、意識がめまいや頭痛の方に集中しまうので、


それはまさに地獄としかいいようがありません。


宙づりにされたようなめまいの中、誰かが私の頭を地面に埋めようとしているような頭痛、


そして止められない嘔吐。



「こどもを産む機会を得られるだけで、なんて幸せなことだろう」

「難病の人に比べたら、なんて幸せな苦しみだろう」


「終わりのない病気がある中で、つわりなんて終わりが来るものなのだから」



と自分で自分を戒めようと何度もトライします。ですが、苦しさのあまり理性が働く余地はなくなります。




第1子でこのつわりを経験した時は、さらに出血も重なり、私は突然仕事をすることができなくなりました。


立とうとしても、地面が揺れてまっすぐ立てない。


頭を動かすと吐いてしまうので、駅まで歩くことができない。出血も止まらない。


「つわりは会社にいった方が楽」というのは事実だと思いますが、そこのレベルまでいきませんでした。



会社のスタッフには多大な迷惑をかけることになりました。


私も、周囲も、つわりがここまでひどいものだと予想していなかったので、


突然私が会社に来れなくなり、突然あいた大きな穴を、


他のスタッフが埋めなければならなくなりました。



こうしたつわりを経験してはじめて、女性がこどもを産むということが、いったいどういう事なのか知りました。


そこで私は、もう自分には会社勤めはできないと覚悟しました。


将来、また命を授かる機会を得た時、また同じようなことが起こって周囲に迷惑をかけることは


今の社会では残念ながら許されることではないし、二度と経験したくないと思いました。


あんな悔しい思いは二度としたくないと思いました。



だから、つわりが起こっても、また切迫流産で入院することになっても、


すべての責任は自分でとる。


尻拭いは自分でする。


そういう形でない限り、働き続けることはできないと思いました。



それから「自分はこれからどうやって働き、生きていこう」、と模索する日々が始まり、


ハナハウスの設立に至ることになりました。


つわりに負けたくない、社会に負けたくない、と思いました。



0歳だった花とゆっくり遊んであげることもせず、


1年間、ただひたすらオープン準備を必死で進めました。


だから花は、ハイハイも言葉も遅くなったのだと思います。申し訳なかったと思います。


ですが花が我慢してくれたお陰で、私が働きながら子供を育て、また再び産むことを許されました。




女性がこどもを産み、働きつづけれるよう、


社会の制度はどんどん改善されています。


ですが、「つわり」についてはまったく考慮されていないのが現実です。


あるいは、妊娠中に切迫流産や切迫早産というものがあるということ、


そういうことから妊娠中の女性はいつ入院するか分からないということ。


そういうことは、あまり多くの人には知られていないように思います。



さらには、妊娠したくてもできない女性たちの多くの声だって、表面からは伏せられていますし、


不妊治療によって起こるホルモンバランスの崩れからくる体調不良、


そのことで堂々と有給がとれるような会社がいったいどれだけあるでしょうか。


女性の社会進出が進み、子供を育てながら働くことが珍しくなくなった分、


それがあたかも簡単なことのように思われているように思います。



ですが、それは決して当たり前のことではない。

女性がこどもを産むということがどういうことなのか。


それを社会が正しく認識し、正しい制度作りをしなければ、


本当に女性が生き生きと、こどもを産み、働き続ける社会は実現しません。



私たちの声はとても小さい。


だから私は、小さくても、女性が無理せず、しかし尊厳を持って働くことのできる組織を作りたいと思いました。



生理の前後に強い体調不良が起こる人であれば、そういう働き方ができ、


つわりがある人なら、1カ月は休めるような制度があり、


緊急の場合には、柔軟に対応できる環境、


こどもが病気をしたら、休んでそばにいてあげるのが当たり前の文化、


そんな、女性のための、あるべき環境を作りたいと思いました。



今は小さいハナハウスですが、少しづつそういう機会を世に送り出すことが私のもう1つの夢です。




私は花を妊娠中に3回入院をしましたが、同部屋だった人たちは、


5カ月も6カ月もの間点滴がとれず、両腕は点滴の後で目も当てられない状態でした。


腕にはもう針をさす場所がなく、足の甲から点滴を入れていました。


食事がほとんどできず、皆とても痩せていました。




世の中には、こうやってこどもを産んでいる人がたくさんいるのだ、と初めて知りました。


こどもを産むということ。それはかくも重いことなのです。



もちろん、妊婦だけではなく、世の中には私たちの知らない苦労を強いられている人が


きっとなんと多いことでしょう。


そういう人たちに思いを馳せざるを得ません。



そういう社会的ハンデを背負った人たちが、もっと社会に理解される、存在を知ってもらえる。


健康な私たちが、ほんの少し気持ちを寄せること。


そんな小さなことを、皆でできたら、良いなと思います。