人間は肉体だけの存在ではない | 自由に、自分らしく、幸せに生きよう 光花のブログ

自由に、自分らしく、幸せに生きよう 光花のブログ

自分を取り戻すためにやっていることや、自分を使って実験した結果、日々の生活の記録など、思い付くままに書いています。

こんにちは。光花です。

 

 

いまさらですが笑い泣きこのブログのタイトル名は

 

「自由に、自分らしく、幸せに生きよう」です。

 

 

わたしは、自由に、自分らしく、幸せに生きたいと願い、このタイトルを付けました。

 

では、具体的に「自由」とはどういうことを指すのか?

 

「自分らしく」とはどんなこと?

 

「幸せ」ってなに?

 

一つの単語を具体的にどういう意味合いで使っているのか、

 

そこをしっかり見ていかないと、

ものすごく抽象的で、ふわーっとしすぎていて、実際になにをどうしたらいいかわからなくて途方に暮れますチーン

 

 

望んでいるものが具体的にどういう状態を指すのかを明確にわかっていないと、

 

わたしのこの「自由に、自分らしく、幸せに生きる」という願いは叶いようがないのです。

 

 

 

 

 

 

いつしかわたしは本当に自分のことがわからなくなっていました。

 

そして、「自分のことがわからない」ということさえもわからなくなっていました泣き笑い

 

 

30年ほど前に『アウト・オン・ア・リム』を読んで、

 

わたしは自分のことが知りたいのだと思いました。

 

わたしは本当のことが知りたのだと。

 

 

 

そこからスピリチュアルを探求することをスタートさせたのですが、

 

「スピリチュアル」という単語の持つイメージも、人によって様々なので、あまりこの単語を使いたくないというのが正直な気持ちです。

 

 

精神的なとか、霊的なという意味の言葉なのですが、

 

オカルト的なニュアンスが香るところ泣き笑いもあって、

 

人によっては怪しい、とっつきにくいと感じると思います。

 

 

 

わたしの場合は、「目には見えないけれど、確かに存在する何か」という意味合いで使っていて、

 

それが本当なのかどうかを知りたいという好奇心が、そもそも探求の大きなきっかけだったようにも思います。

 

 

 

ではこのあたりで本題に入りたいと思います。

 

まず、最初に知っておくべきことは、

 

人間は肉体だけではなく、魂の存在でもあるということです。

 

「魂」という単語も、さまざまな意味を持ち、どの視点でとらえるかによって、それぞれのニュアンスが変わってくるので、

 

この単語も本当は使いたくないのですが、

 

基礎を伝えるのが目的なので、ここでは「魂」という単語を使うことにします。

 

 

 

 

死んだら終わりではなく、そのあとにまだ先がある。

 

これは、子どもの時からなぜか当たり前に知っていたことなので、このことを疑う大人がいるということが信じられなかったです笑い泣き

 

 

 

 死んだあとに肉体を離れてなお存在する「何か」がある。

 

そのことを受け入れるかどうかで、人生の捉え方がものすごく変わってきます。

 

 

 

人生のゴールはまちがいなく死です。

 

死にむかって人は毎日生きている。

 

 

もし、死んだらほんとうにすべてが終わり、その先にはなにもないのだと信じているとして、

 

 

人間は必ず死ぬのに、死んだらすべてが終わるのに、なぜ生まれてきたの?

 

死なないために、一日でも長く生きのびるために毎日を生きてるの?

 

そう考えると、ものすごくむなしくなりませんか?

 

 

おそらく人は、そういったことを考える暇もなく、日々をいそがしくすごしているのだと思います。

 

逆にいうと、そういうことを考えたくないから忙しくしているともいえるかもしれませんね。

 

 

人が生まれるのは簡単ではありません。

 

奇跡のような確率で妊娠し、

人によってはいつおわるかわからない「つわり」で苦しみ、

10か月間、あらゆることに気を配り、生まれるその時までお腹の中の赤ちゃんを守ります。

 

そうして、あらゆる痛みを越えて、この世に産み落とされたわけで、

 

そうまでして生まれてきて、その人生のゴールが「死」で、以上で終了!なわけがないと、やはりわたしは思うのです。

 

 

では、死んだら終わりではなくその先があるのだとしたら?

 

この続きは次回に書いていきます乙女のトキメキ

 



 

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