私の実家と旦那さんの実家 | 自由に、自分らしく、幸せに生きよう 光花のブログ

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自分を取り戻すためにやっていることや、自分を使って実験した結果、日々の生活の記録など、思い付くままに書いています。

こんにちは。光花です。


私の実家と旦那さんの実家の相違点と共通点。


私の家は、父が一番偉い人で、言うことを聞かなければいけなくて、みんなが気を遣っているような家。


我慢が大事。自分よりも周りのことを考えて動くことが大事。


人が嫌がることも率先してやるべし。


さぼったり怠けたり、手を抜いたりしてはいけない。


そんなふうに、どちらかというと、ストイックな感じの家だった。


病気でも具合悪そうにしているところを見たことがない。


けがをしても痛がっているところを見たことがない。


何があっても仕事は休まない。がんばらなければ、役に立てなければ邪魔になるだけ。そんな感じ。



一方の旦那さんの実家。


旦那さんの話によると、母親が一番強い家。いわゆる「かかあ天下」的な家。


今は違うけど、昔は父親にひどい暴言を吐いていたらしい(汗)


子どもっぽい。我慢をしない。


すぐ痛がるし、両親ともに病気自慢?みたいなことを言ってる(笑)


こっちの方が痛い、いや、こっちのほうがもっと痛い、とか、そんなことをお互いに言い合ってるらしい。


私の実家とまるで反対なので、驚いた。



おそらく、私と旦那さんでは「痛み」の基準が大きく違うと思われる。


結婚当初、旦那さんが「イテーっ」と大声を出したので、なにかものすごい大けが(骨折とか、ひどく血が出たとか)でもしたのかと思い、


顔面蒼白になって駆けつけたところ、ただそこらへんに足をぶつけただけだった、というようなことがよくあった。


私の実家では、男の人が大声で痛いと言うようなときは、よほどの大事故でもないかぎり、まずありえないことだったので、私は本気で心配したのだった。


たぶん、私が同じくらいの勢いで同じように足をぶつけても、痛いなぁと思うだけで、特に声にだしたりはしないだろうと思われる。


それくらい、痛み一つとっても両家の感覚の違いは大きい。


では、共通点はなんだろうと話し合ってみると、それは見つかった。



「不安」そして「自己価値感の低さ」



どちらも不安が大きく、自己価値観が低いということがわかった。


違うのは、私の実家では、不安があることを見せないように隠し、強い人、立派な人を演じていた。そして演じきれなくなると、イライラをふりまいた。


一方、旦那さんの実家は、不安があることをそのまま見せていたということ。


ある毒親本で、毒親かどうかのチェックシートがあり、二人でそれぞれチェックしてみたのだが、旦那さんは、俺んち、ほぼ全部当てはまってると、遠い目をして言っていた。


旦那さんの場合、とても分かりやすい毒(笑)だったので、早くに反抗し、ある程度は自分らしさを保って生きることに成功した。


私の場合は、とてもわかりにくい毒だったため、うちの両親は、とても立派な尊敬するべき親だと思い込んで、気付くのが遅れ、自分らしさを見失ってしまったのではないかと思う。


それこそが、私の生きづらさの原因だった。


赤の他人同士が結婚し、子供まで生まれるということは、やはりそれなりの意味があるのだろう。


何かでちらっと読んだのだが、種類は違っても、同じくらいの重さのトラウマを抱えているもの同志が結婚するという。


本当かどうかは定かではないが、うちの場合は、それに当てはまるのではないかと思う。


私の両親にも同じことが言えそうだ。


母のほうは、今の旦那さんの実家のようなかかあ天下の家。


誰が見ても明らかに問題を抱えていることがわかるような環境だった。


一方、父の方は、立派な家柄で、父本人も、自分の父を尊敬しているという。


私もそう聞かされていたから、そうなのかと思っていた。


しかし、それならば、なぜ、あんな父になっているのかという疑問がぬぐえない。


どんな父かというと、批判的で、完璧主義で、しなければならない、してはならないという常識のもと、自分にも他人にも厳しく生きている人。


突然イライラして、怒りだすと止まらない人。


もちろん、いいところも、優しいところもあるけれど、今、私は父と絶交しているので、嫌なところがよりクローズアップされている(汗)


一見すると立派な、常識的な家だが、何か気づかれにくいような問題を抱えていたのではないかと思っている。


昔はそれが常識と言われていたようなことでも、実は人の心を静かにむしばんでいくような、そんな何か。


その人らしさを、その人の尊厳を踏みにじってしまうような、そんな何かがあったのではないかと一人で勝手に推測している。