子育てのはじまりのころ | 自由に、自分らしく、幸せに生きよう 光花のブログ

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自分を取り戻すためにやっていることや、自分を使って実験した結果、日々の生活の記録など、思い付くままに書いています。

こんにちは。光花です。


子どもを産み、育てるということは、とても大変なことなのだと、頭ではわかっているつもりでした。


実際にやってみると、思っていた以上に、その何十倍も大変だという現実にぶち当たりました。


育児雑誌を熟読し、しっかり育てなければ、失敗は許されないと、異常なまでに深刻に考えていたように思います。


わたしは完璧主義で怖がりだったので、(当時は自分では気づいていませんでしたが^^)


風邪、ひかせないようにね、などといった、何気ない一言さえもプレッシャーになっていました。


もし、万が一、娘になにかあったら、私はとても生きていけないと思っていました。


気を付けなければ、私が守らなければと痛々しいほど必死でした。


育児雑誌に書いてある事に忠実に離乳食を与えようとしても、もともと200CC のミルクを1度も飲みきったことのないほど食が細い娘は、ちゃんと食べてはくれません。


今考えると、そんなのは子供の個性だよと思えるのですが、当時はなにしろ必要以上の責任感でいっぱいだったので、それこそ必死で何とか食べさせようとしていました。



そもそも私が怖がっていたために、怖がらせられるような現実が引き起こされたのか、あらゆるところで、私は怖がらせられていました。


産婦人科では、娘があまりにもミルクを飲まないためか、生まれて数日後に、ダウン症かもしれないから血液検査をすると言われました。


結局、ダウン症ではありませんでしたが、ただでさえ、ホルモンの影響などで精神的に不安定な時に、追い打ちをかけるような出来事でした。


退院してから、市のサービスで保健婦さんが訪問してくれて、赤ちゃんの様子を見てくれて、子育ての相談に乗ってもらえるというのがありました。


そのときに来た保健婦さんが、ちょっとこんなに体重が増えないのはおかしいからと、深刻な顔で、病院に行くようにと勧めてきました。


それから3年間、大学病院に通い、経過を見てもらっていたのですが、結局、何の異常もなく、ただ食が細いだけでしたねと言われました。


大学病院の先生や看護師さんは、まったくこちらを不安がらせることなく、気持ちよく診察や検査をしてくださいました。


毎回、診察のたびに、安心することができました。


やはり、言葉や、話しかた、表情というのは、想像以上に人に与える影響が大きいですね。


特に、心細い思いをしている人や、不安になっている人に対しては絶大な影響を及ぼします。


そこにその人の、人間としての本質や、度量があらわれている気がします。



当時、私を救ってくれたのは、近所に住む先輩ママたちの言葉でした。


どんな離乳食だと食べてくれるのか深刻に悩む私に、


豆腐の味噌汁にご飯を入れて柔らかくして、つぶしながら食べさせてるよ。

それでも、めっちゃ元気で大きく育ってるよ。


と話してくれました。


私は育児書に、大人の食事だと濃すぎるから、離乳食は別に作ると書いてあったために、ただでさえ料理は嫌いなのに、ものすごく手間をかけて、離乳食を作っていたのでした。


それでも一向に娘が食べてくれないので、とてもストレスになっていたのです。


育児雑誌に載ってるのは、特別に頑張ってるすごい人だから載ってるんだよ。あれをまねしてたら、大変だよ、と言ってくれました。


なんだか、目が覚める思いがしました。


肩の力がふっと抜け、とてもラクになりました。


こうしなければいけない。こうやってはいけない。と、怖いことを想像させてガチガチにコントロールすることよりも、


こんな感じでもいいんだよ。大丈夫だよ。と、より自由度の高い、おおらかな感じで接してもらえる方が、ずっといいし、救われます。


私はこれまで、どちらかというと、ガチガチのコントロールで人に接してきてしまいました。


自分なりに学び、反省し、改善してきてはいると思いますが。。。


今後は、私がもっと自由になって、やわらかくなって、ほかの人の自由を応援してあげられる人を目指していきます。



ちなみに、今、高校生になった娘は、相変わらず、食が細く、体も細く、顔色も青白い感じですが、血液検査では、男子並みの血と絶賛されるほどの健康的な血が流れていることが判明しています。


怖がらなければ、意外と大丈夫なことって、ありますね。