悩んだ末・・・緊張の外泊 | 線維筋痛症とあれこれ

線維筋痛症とあれこれ

大切なお母さんを亡くし、鬱とパニック障がいは酷くなり、
山あり谷ありな人生。結婚後、義両親からの絶縁宣言。ストレスフリーな生活を目指す為に、知らない土地での生活を辞め、実家の父と旦那さんと暮らし始める。その後線維筋痛症の診断が!

私は10日の夜から今日の夜まで家を空けました


理由は、介護疲れを取るためと、誕生日を彼と過ごすため


しかしお母さんが出血後間もなかったために


「よく考えて。お母さんは貴方が居ないと不安なのよ。後悔しないためにも傍に居て」と1人の方に言われた。


私も泣きながらギリギリまで悩んだ


お母さんは心配だけど、自分も休憩が欲しい・・・


でもお母さんも心配・・・


お母さんは「自分のしたいことはしなさい」と言ってくれてた


葛藤し続けたけど、今一番の理解者の彼と訪問看護師に相談した


2人とも同じ意見


「今出来るときに休憩して。その傍にいなさいと言った人になんかお母さんの介護の大変さなんて分かんないし、○○ちゃんだけがお母さんの面倒を見る事ないんだから、お姉さんたちに協力を貰って行っておいでよ」と。


彼からも「その人が○○ちゃんを助けてくれるの?お母さんの介護してんのは○○ちゃんだけなんだよ。今休まないと、○○ちゃん倒れるよ。お母さんはきっと大丈夫だから、僕が○○ちゃん迎えに行くから」と。


その言葉と叔母からの「周りの人の言うことなんて気にしないで、行って来て。私もお母さんの様子を見に行くから」と。


悩んだけど外泊することに決めて、お母さんの段取りを組み


もし急変した時の対応の仕方や、連絡先、お母さんの保険証の入ってる所などを紙に書き置きした。


食事の作り置きもして、私なりにしっかりとして出かけた。


出かけ先からも1日3回の電話を入れ


出血の有無や尿量・排便状態・食事摂取の状態など確認した


私の頭の片隅にはお母さんの事がはなれず


悪夢で起きたり・吐き気に襲われたり・・・


そんな事にも必ず彼は対応してくれた


私が少しでも心が休まるようにと


彼は芝桜が有名な所に連れて行ってくれたり


自然の多い中を散策させてくれたり


早朝散歩にもつき合ってくれた


彼のご両親も私を元気にさせたいからと


手料理を沢山ふるまってくれたり


誕生日ケーキまで用意してくれていた


お酒は飲むか迷っていたけど


彼と彼のご両親が「ここまで来て我慢することないよ。お母さんは大丈夫だから飲みなさい」と。


自宅でのお酒は、お母さんの急変時に備えて我慢して飲んでないから


今回は飲んで楽しく過ごした・・・・


自宅に帰ると・・・


「足拭いてもらっていい?」とお母さん


姉はしてくれてなかった


それからもベッドを奇麗にしたりして


ゆっくり出来たのはいつもの時間


現実は厳しいな


でも、理解者は居る


だから頑張れる