今月見たとてもエモーショナルな風景 | ハナのブログ

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随筆みたいなブログを書きたいんだけどさ…ごめんな

世の中は夢かうつつかうつつとも
   夢とも知らずありてなければ

つげ義春さんの漫画を読み漁っていた時期があった。

私は千葉県の田舎に住んでいるが、車でちょっと走らせるとつげ義春さんがよく泊まっていた宿もある。
つげさんの作品に出てくる「西部田村事件」などはまさにその宿周辺で起こった出来事を元にしているし、他にも千葉を舞台にしているであろう作品がいくつか出てくる。

そんなつげさんの書く昭和の田舎の雰囲気が昔も今も大好きだ。

先日、地元の先輩のところにバイクを修理に出した。
2週間程経って修理を終えたとの連絡があったので、あがったバイクを取りに行くべくヘルメットとグローブを持って電車に乗り、最寄り駅に降りた。
きっと先輩に電話をしたら迎えに来てくれるだろうとは考えたが、運動不足解消と意気込んでおよそ2時間かけて歩いて行くことにした。

しばらく歩いてみてどうも懐かしいと思った。なんのことはない、そこは私の高校の通学路を逆にたどって歩いていたのだ。
道中に「待山」というバス停があるのだが、なんとなくその場所の名前にストーリーがあるような気がして少し好きなバス停だったのを思い出した。
ところで私が高校生だった当時、平日朝に私が自転車でこのバス停を通るといつも発達障害の女性がバスを待っていた。
特にどうということもないのだが、私と同じくらいか少し年上かもしれない彼女は少しリズムを取るようにゆっくり身体を揺らしながら一人で養護学校のバスを待っていた。
何度か学校に遅刻をしそうになるくらいの時間にそこを通ると彼女が養護学校のバスにのっそりと乗り込む姿も何度か目撃した。
たまに母親らしき別の女性もバス待ちに付き添っていたこともあった。

秋晴れの昼下がり、歩いてバイクを取りに行くなんて思い立ったことに後悔しつつそこのバス停付近に差し掛かかろうとした時、前方に人が見えた。
「待山」バス停の脇の畑の縁にあるコンクリートの境界線に座っている人だった。
こちらは歩きなのでそれはゆっくりと近づいてくるのだが、なんとそれはあの当時見かけていたあの女性だった。
あれから30年、もちろん彼女もそれなりに年を取っているのだが、間違いなくあの人だった。
しかも日曜日に?
私が知らないだけで当時から日曜日も彼女はバスを待っていたのだろうか?
いやいやそれでも今は昼下りだ
当時見かけたのは私が登校する朝だった

すれ違う私と目を合わせるでもなく、挨拶するわけでもなく彼女はそこに座って畑の土などを触っていた。
当時のバスを待つという行為を彼女は大人になった今もきっと毎日続けているのだ

それが彼女のルーティンであり、彼女が生きている証なのかもしれない
きっと彼女を養護する両親はもうずいぶん高齢であろう。もしかしたら亡くなっているかもしれない。
それでも彼女自身もう在籍してない、迎えに来るでもない養護学校のバスを今でも待ち続けているのだろう。
私はゆっくり彼女の前を通り過ぎるとき、泣きそうで切なくて感慨深い様な、近年で一番エモい気持ちを味わった。
ホントに心が揺さぶられた

こんな話をしてこのエモさをわかってくれる様な人がもっとまわりにいてくれたらなと思う。
そしてつげ義春さんのファンならわかってくれると思う。
だからこの気持ちをわかってくれる人、千葉の田舎の居酒屋で一緒に飲もうぜ

ところで私は近年使われるようになった言葉でこの「エモい」という言葉が一番好きだ。



 卍 チャオ 卍