源平合戦は岡山県でも行われています。一つは水島合戦で平氏が勝利した最後の戦いです。もう一つは藤戸合戦で、これは源氏が勝利し、これ以後、源氏は快進撃を続け、平氏は滅亡することになりました。

 

今日は、この藤戸合戦の舞台となった地を歩いてみることにしました。

 

起点は茶屋町駅です。鬼で有名だそうですが、県内でも知る人は少ないでしょう。茶屋町は、元は瀬戸の穴海だったところで、干拓が終わったのは1800年頃だそうですから、源平合戦の頃はまだ海でした。鬼の話は桃太郎伝説の温羅が元になっているようです。

 

 

 

 

 

茶屋町駅から、かつては海だったところを西南に向かって歩いていくと、倉敷天城高校のグラウンドの端に天城陣屋跡があります。藤戸合戦とは何の関係もありませんが、貴重な史跡です。

 

 

さらに進むと天城池田公墓所があります。ここも藤戸合戦とは関係ありません。岡山池田公の分家格で厚遇されたそうです。

 

遍照院です。

 

西に向かっていくと、天城小学校の傍に経ヶ島があります。藤戸合戦では地元の海の男から教えられた浅瀬を突っ切って佐々木盛綱が先陣を切ったのですが、戦後、盛綱が海の男を供養したところです。頂上にある古びた宝篋印塔と六角形の石塔婆が供養塔だそうです。

 

 

 

 

 

 

 

盛綱橋の上に馬に乗った武者が見えてきます。

 

近づいていくと、これが佐々木盛綱です。

 

 

橋を渡っていくと、藤戸饅頭本舗本店があります。ALWAYS三丁目の夕日のロケで使用されたそうです。

 

 

 

名物藤戸饅頭を買いました。

 

橋を渡った突当りに藤戸寺があります。奈良時代に行基菩薩が開基した高野山真言宗のお寺です。佐々木盛綱が合戦戦没者の供養に大法会を催したそうです。

 

 

 

 

 

 

 

石造五重塔です。鎌倉中期の寛元元年銘があり、県指定重要文化財。

 

 

 

ここからさらに西に進んでいくと、先陣庵があります。盛綱が源氏の先陣としてここに上陸し、戦後に庵を立てて、戦没者や、くだんの海の男の霊を慰めたと伝えられています。

 

 

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先陣庵のある西明院の一段上に金毘羅大権現が祀られています。

 

金毘羅大権現から西明院、藤戸合戦の舞台を見下ろしたところ。

奥の丘から西明院の麓までは、かつて海だったところでしょう。

 

西明院から藤戸合戦の舞台を見下ろしたところ。

 

西明院から北上していくと、乗り出し岩があります。佐々木盛綱が海に乗り出したところです。藤戸合戦が開幕したところです。

 

 

 

 

 

乗り出し岩から南東に向かうと、御崎神社があります。元々は海に面していました。盛綱が出陣前、戦勝祈願したところです。もとはもう少し上にあったものを盛綱頑張って現在地に移したそうです。

 

 

 

 

 

少し北に行くと、蘇良井戸があります。背後の高坪山一帯に布陣した源氏軍が利用した井戸だそうです。

 

そこから少し南東の瀬戸内自動車道を越えてすぐのところに笹無山があります。盛綱に浅瀬を教えたのは地元の海の男ですが、先陣の功を味方に譲りたくない盛綱が、その男を切り捨ててしまいました。それを知った男の母が、盛綱を恨み、佐々木にくけりゃ笹まで憎いと、笹をむしりとってしまい、笹がなくなったと伝えられています。干拓後の今となっては、山というより盛り土のような感じです。

 

 

 

 

 

笹無山から茶屋町駅に戻る途中に面白い家がありました。

 

 

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