三日目の第3回目です。(第2回目の様子は⇒初瀬街道を歩く(三日目 伊賀上津~川合高岡)2018/01/11 2/3

 

さらに進んでいきます。石仏群があります。 13:41:44

 

突当り正面に小さい道標「上いせみち」があります。ここを左折して進みます。13:45:08 

 

二本木宿の西はずれに入ります。二本木宿は、一根二幹の松の大樹がこの地にあったことに由来するそうです。左折して街道に出たら、左の脇道を少しだけ進み、また元の道に出て、進みます。右手に大きな常夜燈。天保4年(1833)。宿のほぽ中央に位置しています。13:52:46

 

 

宿内をくねくねと曲り、東へ進みます。駅前道路とぶつかる中徳田の左角に軒うだつのある民家があります。このあたり駒屋という旅籠があったそうです。 13:55:50

 

二本木宿の街並みです。14:02:24

 

進んで行くと二叉になり、このあたりで宿は終ります。左側が旧道ですが100mほで消滅してしまっているので、戻って右側を進みます。 14:06:57

 

楠木橋手前で旧道復活、橋を渡って県道を進みます。14:22:13

 

亀ケ広の桜並木です。春はさぞ美しいことでしょうね。 14:29:09

 

 

右手は雲出川。 14:35:34

 

 

左手に、巨岩に刻まれた磨崖仏「笠着地蔵」が見えてきます。天台真盛宗開祖「真盛上人」の幼児の奇跡にちなんで刻まれたもの。上人が雲出川に捨てられたとき、この幼児を乗せた笠が流れをさかのぼり、この渕に流れ着いたという奇跡にちなんで刻まれたものだそうで、流れに逆らって着いたので、「笠着」または「逆着」と呼ばれます。 14:45:51

 

 

笠着地蔵の前の川岸の巨岩の下にも逆さの地蔵が刻まれています。安政の大地震の際、道路脇の巨岩が二つに割れて転げ落ち、刻まれていた地蔵が逆さまになったのだとそうです。14:55:07

 

先に進むと、右手に大仰橋があります。往時は、雲出川を板橋や渡舟で渡っており、渡場は少し先にありました。橋から200mくらいの所に常夜燈と大仰有料橋跡の石碑が立っています。明治以前まではこのあたりから対岸へ板橋がかかり、洪水の時は板を引き上げ、舟渡しに切りえていたそうです。 15:20:12


ななめ左に成福寺があります。真盛上人慈父母の菩提所。15:25:57 

 

大仰橋で対岸へ渡り、川沿いの集落を行きます。大仰の宿があったところです。 15:36:02

 

旧道は県道にぶつかり、その先で消滅しているので、県道に沿っていきます。15:40:15

 

雲出川の段丘を半円状に上って行き、曲り終ったあたりで、旧道復活、左へ入る細道を行きます。15:50:45


坂を上がった所が谷戸峠で、付近でボタン石がでるのでボタン峠とも言われました。明治頃までは沢蟹焼きの露店が並んでいたそうです。15:52:26

 

峠を越えて、谷戸坂を下ります。 15:56:54

 

下ったところの向かい側の県道に明治時代の常夜燈と万燈さんと呼ばれる祠、坂の右手に明治時代の常夜燈が立っています。15:57:46

 

谷戸を過ぎて、井関の交差点を過ぎ、また次の信号をすぎた先で、県道から右に分岐します。 16:10:38

 

入った先は田尻の宿があったところです。現在は南側をJR名松線が通り、宿が分断され、旧道も残っていません。16:13:28

 

一志のマンホール蓋です。16:17:54

 

 

このまま進んで左折していったところに川合高岡駅があります。この日はここで終了としました。いよいよ明日で最後です。16:31:08 

 

翌日に続く

 

 

 

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