前回からの続きです。(前回の様子は⇒鎌倉街道上道を歩く(三日目 中河原~狭山)2016/12/03 1/3

 

中央線の陸橋を渡り、すぐ先で右の路地へ階段で下ると、中央線で切られた旧道が北に続いています 10:37:05

 

国分寺のマンホール蓋。 市の花サツキの周囲に国分寺の軒先瓦のデザイン。10:37:57

 

 

旧道を北上すると、右側は姿見の池緑地保全地域で緑地になっています。 10:42:15

 

右奥に姿見の池があります。 10:46:18

 

 

元の道に戻って北へ進むと左手に東福寺があり、石段の下に「傾城の墓」、傍らに傾城由来碑があります。10:55:47

 

少し北に向かうと右手に熊野神社があります。 11:02:18

 

境内に聖護院道興准后の御歌の碑があります。文明18年(1486)「廻国雑記」の歌「・・・朽ちはてぬ名のみ残れる恋が窪 今はた訪ふも 知記(ちぎ)りならずや・・・」 11:02:57

 

熊野神社の紅葉 11:04:27

 

熊野神社を過ぎると恋ヶ窪用水の跡があります。ちょいとボケちまいましたね。 11:07:47

 

 

恋ヶ窪用水跡の右側の道をちょいと歩いてみる。 11:09:20

 

西武国分寺線の線路突当りを左折して踏切まで迂回し、線路の向こうに続いている旧道を行きます。11:15:24

 

間もなく府中街道に合流、しばらく行くと東恋ヶ窪5丁目の5差路で府中街道を左に分け、旧道は細道になって直進します。 11:23:04

 

旧道は真っすぐに進み、東恋ヶ窪6丁目あたりの民家の中に消えています11:25:51

 

小平市のマンホール蓋。カラー。市の木「ケヤキ」を中央にした小平市の街並み。右奥には富士山。11:42:36

 

また府中街道へ大きく迂回して上水本町交差点を右折し、少し進んで左折して旭ヶ丘中通りへ入ります。 11:49:55

 

五分ほど歩くと玉川上水があります。ここに架かっている橋は「鎌倉橋」です。前に玉川上水の遊歩道を歩いたときに何で鎌倉橋なんだと思っていましたが、そういうことだったのね。 11:55:45

 

橋を越えた先は真っ直ぐに道路を進み、左手の津田塾大学を過ぎてさらに進み、鷹野街道にぶつかり、少し左にずれてまた真っすぐ北上します。 12:09:11

 

道はブリジストンの工場で消滅、左へ進み、府中街道へ出て北上します。 12:29:16

 

右手にブリジストンの広大な敷地を見ながら府中街道を北上します。 12:35:07

 

小平市のマンホール蓋。中央に市章。波で4分割された水の中を泳ぐ4匹の魚のデザイン。 12:39:37

 

八坂交差点です。ここは昔から九道の辻と呼ばれていました。ここから東村山市に入ります。12:44:39

 

交差点の西北の野火止用水のところに九道の辻の標柱があり、説明が書かれています。12:49:44

 

九道の辻は旧鎌倉街道のほぼ中間に位置し、江戸道、引股道、宮寺道、秩父道、御窪道、清戸道、奥州街道、大山街道、鎌倉街道の九本の道がこの地に分岐していたことによるものだそうです。 12:51:13

 

 

交差点を流れる野火止用水は、老中松平伊豆守信綱が玉川上水の水を自分の領地内に分水するために作られたものだそうです。 12:52:43

 

 

昔はこんなだった。12:53:19

 

交番の横に新田義貞が鎌倉攻めの際、道を見失い1本のサクラを植えて目印にしたという伝説のサクラがあります。12:56:51

 

 

東村山市のマンホール蓋。市章と村山下貯水池(多摩湖)の取水塔のデザイン。 13:00:14

 

府中街道を北上します。ここからの府中街道は旧道を拡張した道だそうです。 13:01:19

 

少し歩くと左手に八坂神社があります。元は牛頭天王社で、正福寺のそばの八坂神社を勧請したものだそうです。13:13:00

 

八坂神社の紅葉 13:17:19

 

ここまでをこの日の2回目とし、続きは次回。⇒ 鎌倉街道上道を歩く(三日目 中河原~狭山)2016/12/03 3/3

 

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