前回の続きです。(前回の様子は ⇒ 盛岡道(奥州街道)を歩く 一日目(七北田~古川)2016/09/19 1/3 )
突当りを左に曲がり、西川に架かる御所橋を渡ります。 09:53:35
二股の右手富谷中央公民館の前庭に代官松があります。代官所があったところだそうです。 09:56:32
二股の左を行き、大きな道路と合流します。合流地点の北側の高台に八雲神社。天保大飢饉のころ疫病がはやったので槻木の入間田から勧請したそうです。宿の入口にもありました。入口と出口に勧請したのですね。 10:04:29
その先、すぐに左斜め前方に分岐して行きます。10:07:44
なんか道が違うような気がする。とりあえず進んでみる。10:19:32
しばらく行くと、左手に祠があり、祠の中に「明和九」(1772)「聖徳太子」と書かれた石塔があります。ここが「いぼ取り太子堂」です。歩いてきた道は正しかったようです。10:29:08
「いぼ取り太子堂」の前側に道路元票「距仙臺元標五里」があります。 10:31:17
すぐ先で大きな道路と合流、その先で国道4号と合流します。 10:38:07
田んぼ 10:42:55
下草入口バス停を過ぎます。 10:53:28
志戸田バス停を過ぎます。 11:00:32
下道に三ヶ森遺跡の説明があります。 11:02:17
吉田川に架かる高田橋を渡り大和町に入ります。 11:11:22
大和町(たいわちょう)のマンホール蓋。町章と町木のモミジ。11:23:19
道下バス停を過ぎて進むと、焼肉屋さんの前に一里塚があります。国道拡幅工事にあたり移設整備したものだそうです。 11:40:42
一里塚の前に奥道中歌碑があります。 11:42:22
その先で左に入り、吉岡宿に入っていきます。志田町、上町、中町、下町と直角に曲っていきます。 11:48:36
右手に九品寺があります。門前に石仏が並んでいます。右手の一番手前に道標付南無地蔵菩薩「右せんだい道 左まつしま道」があります。 11:51:39
吉岡宿の街並み 11:56:09
その先、右手に龍泉院があります。境内左手秋葉大権現御堂の横に大きな石仏がずらりと並んでいます。先頭に享保十七年(1732)の見事な庚申塔があります。上に日月、下に三猿。 11:59:18
突当りを、右に曲り、すぐ左折して上町に入ります。 12:04:48
突当りの手前右手の本陣案内所が本陣跡です。何年か前までセブンイレブンだったので建物がそれっぽいですね。中にも入りましたが、やはりセブンイレブンの作りのまま。 12:11:44
本陣案内所の内部です。たぶん大和町のキャラクター。利息でござる。 12:12:27
突当りを右折して、中町に入ります。 12:14:31
その先、左手、七十七銀行の手前に蔵があります。叶蔵。 12:18:10
穀田屋さん 12:20:12
その先、右手に入って行くと、左手に黒川鎮守八幡神社があります。参道右手には大きな石碑「芭蕉墳」があります。 12:24:55
街道に戻って先の左手に高札場跡があります。12:30:06
その先の突当りを左折して下町に入ります。12:32:27
左手に創業元禄八年 早坂薬局。新しくなっちゃったな。 12:35:33
その先、左手に早坂家の酒類醸造所があります。12:36:37
下町のはずれは追分で、角に石標「奥州街道 出羽海道中山越え」があります。 12:42:47
追分を右折して坂を下って行くと左手に池があり、対岸に中興寺があります。 12:45:31
この先、耕地整理で旧道は消失しているらしいので、坂を下りて国道4号と合流、東に戻って田んぼの中の道を北に進みます。12:54:03
昌源寺の下から昌源寺坂を通って続く旧道は先で途切れているらしいので西に大きく迂回していきます。13:06:25
西に向かっていくと、大衡城跡の下辺りに案内板があります。下草城主黒川景氏の次子大衡宗氏が天文13年築城、天正18年豊臣氏の奥州仕置で所領没収、廃城となったそうです。 13:14:35
大衡村のマンホール蓋。村の花キキョウと村章。 13:26:01
ここまでをこの日の2回目とし、続きは次回。⇒ 盛岡道(奥州街道)を歩く 一日目(七北田~古川)2016/09/19 3/3