北国を「きたぐに」と読むと、東北地方を思い浮かべますが、「ホッコク」と読むと、北陸の各県を思い浮かべます。


北国街道と言うと、北陸に通じる道の総称のようなもので、全国的にオーソライズされた定義はないようです。


関東の人は、中山道追分宿を経由して北陸に向かう道筋を指し、関西の人は、中山道鳥居本宿と北陸道今庄宿を結ぶ道を指すことが多いようです。


そのほかにも北陸に通じる道筋は数多くあり、そのすべてが北国街道とも言えます。場合によっては北陸道も北国街道の範疇に入ります。


ですから、単に「北国街道を歩いた」と言っても、人によって思い浮かべる道筋が違ってきます。


そんなことから、混同を避けるため、今回は「北国街道(善光寺街道)」として、中山道の追分から善光寺までを歩くことにしました。



平成28年5月15日、朝4時に起きて三鷹駅から大宮へ、大宮から新幹線に乗り換え、しなの鉄道に乗って信濃追分に向かいます。 07:40:04



信濃追分駅から中山道と北国街道との追分に向かいます。07:52:31



このあたりでは、まだツツジが元気です。 07:57:37



追分(分去れ)に着きました。分岐点には道祖神、寛政元年の常夜燈、延宝七年の道標「従是北国海道」「従是中仙道」などがあります。左が中山道、右が北国街道です。右に行きます。 08:19:50





盛盛亭のところで国道18号線に合流、下りになり御代田町に入ります。標高929メートル。涼しいです。 08:41:27



御代田のマンホール蓋。 08:49:05



廃業したGS先のY字路を斜め左に入ります。 09:03:07



旧三ツ家村内の濁川橋は工事中。迂回します。 濁川はほんとに濁っている川でした。 09:13:09



三ツ谷西交差点で国道18号線を横断、旧道を進むと間の宿であった旧馬瀬口村に入ります。高山家です。明治天皇巡幸の際、高山家で休息したそうです。 09:32:46




右手に長泉寺があります。09:43:45



長泉寺の先に筆塚。この先、街道筋には筆塚がたくさん出現します。さすがは教育県ですね。 09:45:10



再び国道18号線に合流します。 09:53:01



小諸市に入ります。標高780メートル。だいぶ下ってきましたね。 09:55:36



上信越自動車道に架かる平原跨道橋を渡り、平原東交差点を渡り、先のY字路左の旧道に入ると平原一里塚跡碑があります。日本橋から数えて四十里目です。寛政五年の馬頭観音があります。 10:09:13



小諸市のマンホール蓋。梅のデザイン。10:11:52



長龍寺を過ぎ、二十五菩薩来迎会碑を過ぎると平原の松があります。枝が横に伸びた雲竜松の一種です。これだけ横に伸ばしたのは初めて見ました。 10:18:37



このあたりはフジもまだまだ元気です。 10:32:13



晴れてきました。 10:35:46



平原橋を渡り左折して階段を下り、国道141号線を地下道で横断し、国道18号線に合流します。 10:41:22



信号四ツ谷東のY字路を斜め左に進みます。10:47:53



小諸市のマンホール蓋。 10:51:38



四ツ谷交差点に突き当たった先の曲り沢坂を下ります。 11:04:30



T字路に突りを右折します。分岐点に乙女道標「南無阿弥陀仏」「左江戸海道」「右甲州道」があります。甲州街道に通じているんですね。 11:06:40



旧乙女村です。おとめというのは、酒好きの庄屋の為に酒の湧く井戸を見つけた下女の名前だそうですが、その他諸説あるようですね。 11:11:52



信濃ガスで141号線に合流、殉国観音像がある平和公園を過ぎ、信号唐松で三筋に分かれた分岐点に一里塚の遺構が二山あります。この二山は左右の両塚かと思ったのですが、後で先達ウォーカーさんのブログを見たところ、一つの塚が道路で分断されていたんですね。どおりでいびつな形だと思いました。日本橋から四十一里目です。11:18:27







ツツジがきれいですね。 11:26:54



ここまでをこの日の1回目とし、続きは次回。11:26:54

北国街道(善光寺街道)を歩く(一日目 追分~上田)(2016/05/15)2/4


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