前回から一か月が過ぎてしまいました。(⇒千人同心街道を歩く 三日目 東松山~武州荒木 (2016/03/27)3/3


この日(平成28年5月1日)は、前回の終着点、武州荒木駅から続きを歩きました。


電車に乗り遅れて随分遅い出発になってしまいましたが、ここから街道復帰点に向かいます。 08:54:15



街道に復帰して進むと右手に天満宮があります。 09:01:00



天満宮の狛犬。野獣的。 09:01:47



荒木交差点を右折し、県道7号を直進し羽生市に入ります。表示のちょっと手前右の旧道に入ります。 09:12:12



すぐに県道と合流します。 09:15:57



県道7号は畑の真ん中を突っ切っています。 09:20:58



羽生の消火栓マンホール蓋。 09:30:18



左手に祥雲寺があり、隣に南陽醸造があります。創業万延元年(1860)。「花陽浴(はなあび)」という銘酒を造っています。 09:31:20



すぐ先の上新郷交差点で左折すると新郷宿です。 09:32:29



静かな町並みです。左手に本陣を勤めた須永家の門だけが残っています。 09:37:24



本陣跡敷地内に領界石「従是西忍領」があります。 09:40:59



敷地に上新郷のシイノキの巨木があります。羽生市の指定文化財で樹齢400年。 09:42:35




県道59号と交差します。このあたりが新郷宿のはずれです。突当りに愛宕神社があります。本殿は愛宕塚古墳の上に鎮座しています。 09:48:04



神社脇を通っていくとその先に勘兵衛松並木が続いています。寛永5年、家光の日光社参の際、関東郡代の大河内金兵衛が家臣の勘兵衛に命じて植えさせたもので当時のものは数本のみ。 09:50:08



中ほどに昭和3年建立の勘兵衛松碑があります。09:51:17



左手にお堂があり、庚申塔・如意輪観音・地蔵尊三体が祀られています。 09:58:38



これは庚申塔かな。手が10本あるし、側面に菩薩像が陽刻してある。三猿も邪鬼もいない。単なる供養塔かもしれない。 10:02:42



利根川に突き当たります。 10:07:45



利根川は渡しでしたが、将軍が日光社参に使用するので川俣関所が設けられていました。昭和橋のたもとに川俣関所跡碑が立っています。関所は慶長年間に設けられ、明治2年に廃止。今は川底。 10:11:17




橋の袂の「みちの駅羽生」に川俣締切跡碑があります。文禄3年に南に流れる「会いの川」を堤防で締切り、本流を太平洋に流れるように付け替えが行われました。 10:17:38



昭和橋を歩いて対岸へわたります。この利根川の流れが江戸時代に付け替えられた流れです。 10:20:58




昭和橋を渡ると武蔵国から上野国へ入り、川俣宿に入ります。 10:29:59



土手を右折、川俣宿に入り真っ直ぐ北上します。10:33:04



土手を下りたすぐ左側に本陣跡の塩谷家があります。どっしりした門と白壁の塀です。 10:34:49



宿場に入って400mほど進むと右手に公園があり、川俣事件記念碑が建っています。明治33年、請願に向かった足尾鉱毒の被害農民数千人と警官隊と衝突した事件です。 10:41:36




川俣宿の説明板があります。 10:43:13




明和町のマンホール蓋。 10:54:32



ここまでをこの日の1回目とし、続きは次回。






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