十一日目(2014/10/19) 舞阪~吉田 後半


この日の行程


舞阪-6.1km→新居-7.9km(14.0km)→白須賀-7.6km(21.6km)→二川-7.2km(28.8km)→吉田



- 前半からの続き -



白須賀宿


白須賀幼稚園バス停あたりに曲尺手(枡形)が残存しています。このあたりから白須賀宿に入ったようです。時計10:31:59
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大村庄左衛門本陣跡の白須賀美容院、その隣には脇本陣跡の谷中たばこ店があります。白須賀駐在所前交差点の角には夏目甕磨邸址・加納諸平生誕地碑があります。代々名主を勤めた国学者だそうです。
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神明社を過ぎた民家の敷地内には火防樹の槙が残っています。火災が多かったんでしょうね。その先にはものすごく立派な庚申堂があり、そこを過ぎたところに火除け地跡の石柱があります。
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その先の成林寺あたりが白須賀宿の加宿、境宿です。前に谷川道の道標、向に高札場跡の石柱があります。
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笠子神社の社標前で県道173号線に合流、合流先で斜め右の旧道を辿り、境川に架かる境橋を渡ります。小さな橋です。この橋が、遠江(遠州)と三河(三州)の國境で、今は、静岡(湖西市)と愛知(豊橋市)の県市境なのですが、もっと大きな橋を想像していたので、それとは気づかず渡ってしまい、写メを取り損ねてしまいました。なんにせよ、やっと長い静岡県を抜けました。時計11:05:35


境川から緩やかな坂を上り、正面に信号一里山東が見えるところで手前の右舗装路に入ります。この道が一里山東の旧道です。すぐに高槻工務店手前でで国道1号線に合流、ここから一本道を歩きます。
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少し進むと一里山の一里塚跡があります。日本橋から七十一里目です。今はすっかりなくなってしまっており、お地蔵さんの祠の前のブロックに解説が残されているだけになっています。ここも最初は気づかず通り過ぎてしまい、戻って探してやっと見つけました。時計11:18:53
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一里塚から先は、当分、何もありません。一本道をただひたすら歩きます。おまわりさんがネズミ取りをやっていたようで、何台かの車が止められていました。
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源吾坂を過ぎ、神鋼電機前の二川ガード南交差点を右折、東海道新幹線ガード(四畝町BV)をくぐり、第二東海道踏切を渡って進みます。川口屋角に一里塚跡の石標があります。日本橋から七十二里目です。時計12:15:22
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二川宿


街道を進むと、それぞれの家屋の玄関に丸に二の字と二川宿と染め抜かれた暖簾が下がっているのが目にとまります。
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二川八幡神社があります。永仁三年(1195)鎌倉鶴ヶ岡八幡宮から勧請したそうです。先に進むと味噌醤油の醸造の東駒屋があります。立派な建物です。東駒屋の先が東の枡形で、すぐに松坂脇本陣があり、その斜向いに二川宿本陣(馬場家)があります。資料館になっていて中に入ることができます。宿並には、元旅籠屋の表札をかけている建物が多くあり、かなり目立ちます。
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御菓子司中原屋前には、小さな常夜燈、高札場跡、二川町道路元票の標石があります。店の前が西の枡形になっています。二川宿は風情のある街並みで、なかなか感じがよいのですが、惜しむらくは、歩道スペースがほとんどなく、車がビュンビュン通ることです。せっかくの街並みもゆっくり歩ける環境がないのでは価値が半減しますね。
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二川町から大岩町に入ると、交番の前に大岩町郷倉跡の石標があります。飢饉に備え穀物を備蓄した倉の跡だそうです。二川駅前の植栽の中に岩屋八丁道標があります。さらに進んで左に回り込み、めん処勢川から右に進み、火打坂交差点を過ぎて坂を上り、信州庵を過ぎたガーデンガーデンの敷地が旧道跡です。敷地内を突っ切れば旧道の道筋に近いのですが、迂回してガーデンガーデンの先を左折して少し進むと旧道に復帰します。
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すぐに豊橋岩屋郵便局で31号線に合流、しばらく進み、柳生川に架かる殿田橋を渡り車道を横断、殿田橋交差点の角に飯村の一里塚跡があります。日本橋から七十三里目。ここから吉田宿まで一本道を進みます時計。14:03:47
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途中、たいそう立派な家や、寿泉寺などを見て進みます。
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吉田宿


東八町歩道橋を渡ったもちやの前に吉田城の東惣門のレプリカがあります。もちやの前を左に進み、一本目の道筋を右折、次の十字路を左折します。左折点に東京海上日動の看板があります。14:46:21
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先のT字路を右折、しばらく一本道を進み、山田内科を過ぎ、信号で車道を横断します。中央分離帯の植込みの中に史蹟曲尺手門跡碑があります。
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横断して直進し、ヘアーサロンムラタとうどんそばの嶋田屋の間を左折、その先を右折して一本道を進みます。路面電車が走っていました。
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呉服町から札木町に入ると、うなぎ丸よの前に吉田宿本陣跡碑があります。清須屋与右衛門と江戸屋新右衛門の本陣二軒があったそうです。車道を隔てた向いの小間歯科医院の先には吉田宿脇本陣跡碑があります。
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その先に、菜めし田楽のきく宗があります。創業は文政年間。菜めし田楽ひと筋の老舗です。その先の松葉公園まで進んだところで、この日の終わりとしました。時計15:21:20
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この日は、豊橋のお祭り だったようで、松葉公園から豊橋駅までの道は、大勢の人でごったがえしていました。商店街はお祭り客が乗ってきたと思われる自転車でいっぱいでした。
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本日のポイントの画像とコメントはこちらをご覧ください。
(こちらのほうが見やすいと思います。)

http://twilog.org/hanagamankaida/date-141019