平成26年5月19日、日本橋を出発し、土日の休みを利用して甲州道中を尺取虫方式で歩いて平成26年6月15日、やっと下諏訪宿の中山道との合流地点に到着、踏破しました。


当初計画では6日間で歩き切る予定でした。日光道中、奥州道中を歩いたときのペースで歩けば決して無理な予定ではありませんでした。三日目の黒野田までは予定どおり進んだのですが、四日目の笹子峠を越えたあたりから大幅にペースダウンし、結局7.5日を要してしまいました。


甲州道中は縦に波打っている


私がこれまで歩いた街道では、新道と旧道との関係は$字型でした。つまり、S字状にクネクネ曲がる旧道を基本として、それに縦串を通すように新道が敷かれているケースが多いのです。無駄を省いて車がスムーズに流れるよう敷かれたわけですね。


これが甲州道中では、I字型の旧道にS字にクネクネ曲がる新道を敷いた感じなのです。I字の旧道が平坦ではなく、坂が多く、上下に波打つ感じで敷かれているので、これをそのまま生かして道路整備することが難しく、上下動を回避するためS字型のクネクネ曲がる道路を敷設する必要があったのだと思います。東京都内ではこのような傾向はあまり出ませんが、神奈川に入り、峠道に入るとこの傾向が顕著になります。旧道を歩くと、距離以上に歩いた感覚になります。


旧道は至るところで分断され、多くの場合、旧道は山側を走り、下の新道を見下ろす形になります。逆に言うと、国道や県道から分岐する旧道は、多くの場合、坂です。坂をさけて国道、県道を敷設しているからでしょう。消失した部分も多く、いったん旧道を歩いた後、分岐点まで引き返して新道で迂回するというケースもあり、実際に歩いた距離は、地図上の距離よりも多めになっていると思います。


笹子峠は予想以上の難所だった


甲州道中の難所と言えば、小仏峠と笹子峠があります。小仏峠も、東京側からの上り道は石ころがゴロゴロ転がる登りにくい道ですが、それでも20~30分で峠に到達、降りるまでを含めても1時間も見ておけば大丈夫です。


ところが笹子峠はそうはいきません。S字の県道を縦に貫いて、道ともつかぬ急斜面の山道を行き、幾度か沢や小川を越えます。ほんとにここを越えていいのか、と悩みながら歩きます。これが旧道筋かと疑ってしまうほどです。ちょっとしたことで道筋が変わってしまいそうな場所ですので、これが昔の道筋のままだという保証はあまりないように思いました。ただ、要所々々に茶屋跡などが残されているところを見ると、ほぼ近い道筋であったことは間違いないようです。


ところどころで這いつくばって歩かざるを得ないようなところもあるので、ここを歩くときは軍手があったほうがいいと思います。また、雨の日や、暗くなってから歩くのは避けたほうが賢明です。日程上どうしても歩かなければならない場合は、S字にクネクネ曲がる舗装路の県道を歩くのが安全だと思いますが、面白みは全くなくなりますね。


美しい景観


八王子までは、トラックがブンブン走る道を排気ガスを吸いながら歩きますが、駒木野あたりから野趣ゆたかな自然に囲まれた道が続きます。


小仏峠を越えてからの甲州道中は、山側の高いところから下を見下ろすように続くので各所で美しい景観を見ることができます。眼下に広がる田園風景は素晴らしいです。


上を見ても四方が高い山に囲まれているので、さまざまな風景が目を楽しませます。とりわけ韮崎宿からの、右に七里岩、左に南アルプスを見ながらの景観は圧巻です。右に見える七里岩はやがて八ヶ岳の景観に変わります。長野県に入れば、南東に富士山が見えます。私は、この位置から見る富士山が一番綺麗だと思います。さらに進んで高台から見下ろす諏訪湖の景観も美しいです。おかげで街道を通じて気持ちよく歩くことができました。


道祖神が多かった


道祖神は、日光道中、奥州道中ではあまり見かけなかったのですが、甲州道中ではてんこ盛りになります。特に甲府に近づくにつれて、特有の丸石道祖神のオンパレードになります。丸石といっても、単体の丸石や、たくさんの丸石が複合したイボのようなものなど、さまざまです。大砲の弾やボーリングの球のような、きれいな丸のものもありましたが、あれは技術がいると思いますね。ただ、なぜ丸石なのか、その起源、意味はよくわかりませんでした。


この丸石道祖神は長野県に入るとピタッと姿を消し、双体道祖神の占める割合が高くなってきます。双体道祖神は、夫婦和合していれば悪いヤツも入ってこない、ということから来ていて全国的に点在しているようですが、信濃の諏訪湖周辺の多さは半端ないですね。集落の入口、出口には必ずといっていいほどありました。


庚申塔も道中にまんべんなくありましたが、他の石塔・石仏にまじってその他大勢という形で立っているものが多く見られました。想像するに、これは庚申信仰というよりも、馬頭観音、道祖神などとともに何か効き目のありそうなものは何でも立てておこう、という感覚だったのではないかと思いますね。


秋葉塔も道中にまんべんなくたっていました。やはり火事が多かったんですね。火事で焼失してしまった宿場も多かったようです。心なしか、火の見櫓も多かったような気がします。


宿場は寂れている


甲州道中の各宿場は、合宿などが多いこともあってか、もともとそれほど大規模ではなかったようですが、今日、その面影を残している宿場といえば、韮崎宿、台ヶ原宿くらいでしょうか。蔦木宿なども、各家に旧屋号の札を立てるなど工夫して頑張っていることがよくわかるのですが、住んでいるのかどうかわからない家並が続いていて、やや寂れた感じは否めませんでした。


そもそも街道筋の宿場の本陣跡や問屋跡などを有難がって探して歩く街道ウォーカーは、一般観光客の人口からみればわずかな人数であり、この少数のためだけに宿場を整備するのは費用対効果として厳しいと思います。人はどうしても交通の便が良い新道のほうに流れますから、旧宿場であったことを売り物にして旧道に人を流れ込ませて観光地化するのは中山道の奈良井宿とか下諏訪宿のようによほど立派な環境が整っているところでなければ難しいように思いました。


甲州道中の場合、宿場よりも、むしろその中間に往時の家並が残る風情の残る集落が点在していました。


  起点 終点 移動
距離
(km)
移動
時間
(h)
一日目 日本橋 日野 40.1 13.2
二日目 日野 上野原 32.2 12.4
三日目 上野原 黒野田 34.9 12.2
四日目 黒野田 栗原 19.5 10.2
五日目 栗原 韮崎 25.7 11.1
六日目 韮崎 蔦木 28.1 11.0
七日目 蔦木 上諏訪手前 23.6 11.5
八日目 上諏訪手前 下諏訪 7.2 4.1


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